伊吹マヤ。
彼女が私のマンションを尋ねて来たのは、2022年の8月の事だった。
ドアを開けた私は、嫌悪感を剥き出しにした視線を彼女に叩きつけた。 
そう、私は彼女が嫌いだったし、憎んでさえいた。
「あ、元気だった?」
「ええ、貴女の顔を見るまでは」
私の視線にオドオドとしながらも、白々しい挨拶をする彼女に怒りが込み上げてきた私は、ドアを閉めようとする。
「ま、待って、今日は貴女に大切な用事があって来たの」
大切な用事とは何なのだろう。 私はもうネルフとは関係が無いし、彼女には私に干渉して来る権利も無い。
彼女は黙り込んだ私を見て、用件を聞く気になったのだと勘違いしたのか、口早に話し始めた。
「知らないかもしれないけど、先月、アスカちゃんが亡くなったの・・・」
「で?」
彼女の口から出てきた名前は、私の気分を一層悪くした。 自分の眉間に皺が寄っているのが分かる。
「それで、貴女にこの子を預かってもらおうと思って」
マヤが視線を下ろした先に、私も視線を向ける。 ドアの影に隠れていて見えなかったのだが、マヤは一人の男の子を連れてきていた。 男の子はうつむいているので、顔は見えない。
「何故あの女が死ぬと、私がこの子を預からなければならないの?」
「それは・・・。それはこの子が、シンジ君の子供だから」
「!!」
驚いた私は、もう一度子供へと視線を向けた。
ちょうど顔を上げたその子と目が合った。 確かに面影がある。
「卑怯ね。碇君の名前を出せば、私が断れないのを知っていて・・・」
「・・・・・・」
「いいわ、私が引き取ります。だから、貴女はさっさと帰って」
男の子の手を引っ張って部屋に入れると、私は勢い良くドアを閉めた。
伊吹マヤの申し訳無さそうな顔を、これ以上見たくは無かったからだ。 
卑怯な方法を使って物事を進めておいて、それに良心の呵責を感じている様な振る舞いをするな。 そう怒鳴りつけてやりたかった。
男の子を見てみると、いきなり部屋に引っ張り込まれてびっくりしたのか、目を大きく開けたまま固まっていた。
「貴方、名前はなんと言うの?」
「シンヤです。惣流・シンヤ・ラングレー」
「そう・・」
すがる様な目をしたシンヤを、私は直視できなかった。
彼の目は青く、それ故に彼の母親を思い出してしまうからだ。
「あの・・・・」
「何?」
「お姉さんは、なんて言う名前なんですか?」
「わたしはレイ。綾波レイよ。どうやら今日から貴方の保護者になったらしいわ」


後日、噂で伊吹マヤが結婚したと聞いた。
結局、シンヤは厄介払いされたのだ。
反吐が出そうになった。







新世紀エヴァンゲリオン・アフターストーリー
「First Love」







白い月、弾ける閃光、沸騰するLCL・・・そしてあの人の笑顔。
また、私は夢を見ていた。
遠い、遠い昔の夢。
色あせる事の無い記憶。
意識が覚醒へと向けて浮上して行く。
目を開けると、そこにはもう彼の笑顔は無く、見慣れた天井が見えるだけだった。
涙を拭って起き上がった私は、キッチンへと行くと二人分の朝食を用意し始めた。
一人で住んでいた時は、朝食は食べなかったのだけれど、同居人が来てからと言う物、毎朝必ず作っている。
シンヤと同居するようになって、既に半年が過ぎていた。
半ば勢いで彼を引き取ってみたものの、私自身が他人と同居するのが初めてなので、どう彼と接すればいいのか分からず、半年たった今でも二人の間はギクシャクとしている。シンヤはなんとか私との生活を楽しい物に変えようと努力しているようだが、私にその気が無い以上、彼の努力はずっと空回りしていた。
彼は父親に似たのか、とても大人しい子だが、何事も前向きに考える事が出来るようだ。
私が彼に冷たく当たって悲しい顔をさせても、しばらくすれば笑顔で私に話しかけてくる。気持ちの切り替えが早いのだ。この辺りは、母親に似たと言えるのかもしれない。
ハムエッグをお皿に移すと、私は同居人の部屋へと入って行った。
彼はまだ静かな寝息を立てており、私はなんとなく彼の寝顔を覗いてみた。
やはり彼の息子だけあって、よく似ている。
胸に暖かい物が広がって行くが、シンヤが目を覚ました瞬間、それは急速に冷え、代わってどす黒い何かが私の心を支配し始めた。
手を伸ばし、シンヤの細い首を締め上げる。
蒼い目が見開かれ、私を見つめて来る。 ジタバタとベッドの上で暴れるが、私は気にせずさらに力を込めた。
「レ・・さん・・・くる・・・・」
彼の顔が、呼吸困難のため紫色になってゆく。
あまりの苦しさに彼が目を閉じたとき、私はまるで呪縛から解き放れた様に彼の首から手を離した。
「ゴホッ、ゴホッ」
苦しそうに喘ぐシンヤを残して、私は部屋を出た。


「早く食べて学校へ行く準備をしなさい」
何事も無かったかのようにトーストとハムエッグを食べながら私が言うと、シンヤは少し怯えたような目をしながら朝食を取り始めた。
今日は、シンヤが転校した学校の授業参観だったので会社は休んだ。
小学校で配られたプリントを見せられた時は、行く気がまったく無かったのだが、昨夜シンヤに泣きつかれて仕方なしに会社に電話を入れた。
どうやら彼は自分の事を慕ってくれているらしい。どれほど冷たく接しても、まるでアヒルの雛の様に後ろに着いて来る。うっとうしい反面、それが心地よいと感じている自分がいる。もっとも、彼の蒼い瞳を見る度に、そんな気持ちは地平線の彼方へと飛んで行ってしまうのだが。


学校に着くと、シンヤの教室はすぐに見つかった。
中では既に授業が始まっているようで、生徒が元気良く質問に答えている。
生徒達の親は教室の後ろの方に立っていたので、私も同じようにして後ろから授業を見る事にした。
居並ぶ母親たちはみな二十台後半から三十台前半で、私が一番若かった。特異な外見をしている事もあって私に視線が集まるが、私はそれを無視して教室へと入って行った。
シンヤが何処に居るのかと見回していると、ちょうど後ろを振り向いた彼と目が合った。
私を見るなり、まるで花の様な笑顔を浮かべ、小さく手を振る。
その後、彼は積極的に先生の質問に答え、全問正解と言う快挙をやってのけた。
担任の先生に聞くまで私は知らなかった、と言うより、興味が無かったのだが、シンヤはかなり成績が良いらしく、生徒達にも人気があるらしい。
そして、事件は授業と授業の間の休み時間に起こった。


私がそろそろ帰ろうかと思い始めた頃、教室の一角が騒がしくなり、何事かとそちらを見てみると、なんとあの大人しいシンヤがクラスメートに掴みかかっていた。
教室は騒然となり、担任の教師が慌てて止めに入る。彼女にしてみれば、保護者たちの目の前でトラブルが起こるのは何としても避けたい事なのだろう。かなり必死な顔をしている。
シンヤの掴みかかった相手は体が大きく、明らかにシンヤより腕力がありそうだったが、完全にシンヤの気迫に圧倒されており、馬乗りになったシンヤに何度も殴られていた。
「止めなさい惣流君!!」
担任がシンヤを後ろからひっぺがそうとするが、うまく行かない。
「ゆるさない!!ゆるさないからな!!」
シンヤは叫びながら相手のクラスメートを殴り続けていた。
私の隣では、一人の父兄が気を失って倒れたのを、側にいた父兄たちが介抱している。恐らく、殴られている男の子の母親だろう。
さすがにこのまま見ている事は出来ないと思ったので、シンヤを止めに私は騒ぎの中心となっている人だかりの方へと進んで行った。
「シンヤ・・・・」
私が声を掛けると、クラスメートに馬乗りになったままのシンヤの肩がビクリと震えた。動きを止めると、ゆっくりとこちらを振り返る。
「レイさん・・・・」
怒りから我に返ったのか、しまったと言った顔をした後、ゆっくりとクラスメートの上から降りた。
教師が殴られていた男の子へ駆け寄り、わんわんと泣いている彼の無事を確認する。
騒然となった教室でこれ以上授業参観を続けるのは無理だと考えたのか、この日の授業参観はこれでお終りとなった。


放課後、私は殴られたクラスメートの母親と向き合っていた。
校長室の隣にある接客室には、私達の他にシンヤとクラスの担任も来ていた。
「貴方は子供に一体どんな教育をしているんですか!?」
ヒステリックに母親が叫んだ。たしか、斎藤とか言う名前だったはずだ。
恐らく三十台だろう彼女の顔には、これでもかと言うほど化粧が塗りたくられており、どぎつい香水の匂いは接客室全体の空気を濁しているので、気分が悪い。
「見たところ、まだ二十台前半に見えますけど、親の育ちが悪いから、子供もあんなに乱暴になるんでしょうね」
わざわざ顔を横に向けた斎藤は、鼻で笑いながら横目で私を見る。
私自身をどう言われようと気にはしないが、シンヤの父親の事を悪く言われるのは腹が立つ。たとえそれが勘違いだとしても、だ。
私の隣では、シンヤは悔しさの為に拳を強く握り締めるのが見えた。
「斎藤さん、落ち着いてください」
あまりに刺々しい斎藤の言葉に、担任がなんとか彼女をなだめようとする。
「先生!私の息子は殴られて鼻血を出したんですよ!!落ち着いて話せると思いますか?」
「シンヤ、どうしてこんな事をしたの?」
興奮して担任に詰め寄る斎藤を無視して、私はシンヤに問い掛けた。
大人しいシンヤが何故こんな事をしたのか、私も少し興味があった。半年間一緒に住んでいて、彼が虫も殺せないほど優しい事は知っていたからだ。
「言いたくないです」
涙声でシンヤが答えた。
「何故?」
「どうしても・・・」
何度聞いてみても、答えは同じだった。
「これは他のクラスメートから聞いたのですが・・・」
頑なに言いたく無いと繰り返すシンヤを見かねた担任が、横から言った。
「止めてよ先生!言わないで!!」
「聞かせて下さい」
立ち上がろうとしたシンヤを片手で制すると、私は担任に話を続けるように促した。
「どうやら斎藤君が綾波さんの容姿に関して悪口を言ったらしくて・・。それで惣流君が怒って殴りかかったらしいんです」
「私の・・・?」
どうやらシンヤは私の為に今回の事件を起こしたらしい。正直、驚いてしまった。まさか、シンヤからそんなに慕われているとは思ってもいなかったから。今朝も、発作的に彼の首を絞めたと言うのに・・・・。
適当に斎藤に謝罪した後、学校を後にした。


接客室を出た後、シンヤはずっと俯きながら無言で私の後をついて来た。
校門を出ようとした時、何人かの子供が私達の所へ駆け寄って来た。彼らの顔には見覚えがある、たしかシンヤのクラスメートのはずだ。
「こんにちは」
子供達の中の一人が、礼儀良く私に向けてお辞儀した。活発そうな男の子だ。
「木村君・・」
後ろでシンヤが呟いたのが聞こえた。
「今日の事ですけど、シンヤは全然悪くないです。だから、怒らないであげてください」
木村君が言うと、後ろの子達もそれに同意するように頷いてみせた。
「いつもシンヤがお姉さんの事を自慢してたんだけど、斎藤のやつはいつも嘘っぱちだってシンヤの事を馬鹿にしてたんです。それで今日、お姉さんが来て本当にすごい美人だったもんだから、あいつそれを羨ましがってお姉さんの悪口を言ったんです」
「シンヤっていつも大人しいのに、やる時はやるんだって見直しましたよ」
木村君の後ろにいた子が笑ってみせる。
「俺達、それだけ言いたかったんです。それじゃ、これで失礼します。シンヤ、また明日な!」
木村君とその他の子供達は、シンヤに手を振ると走り去って行った。
私の後ろから、嗚咽が上がり始める。
「う、うう・・・・っく・・・えっ・・・っく」
夕日に照らされた校舎。
巨大な建造物に人の気配が感じられないと、なんとも不思議な雰囲気がするものだ。
そんな空間で聞くシンヤの嗚咽は、どこか非現実的な物に私には聞こえた。
「ごめんなさい・・・うっ・・・・ごめんなさい・・・」
「どうして、謝るの?」
「レ・・・イさんに・・・迷惑かけ・・えっく・・・ちゃったから」
「迷惑じゃなかったわ」
私は彼の前に屈むと、少し長めの彼の髪に指を絡ませた。
「貴方は私を守ってくれたんでしょう?やっぱり、そう言う所はお父さんにそっくりね。嬉しかったわ」
後から思えば、私がシンヤに優しい言葉を掛けたのはこれが始めてだった。
シンヤは涙と鼻水でグシャグシャになった顔を私に向け、少し笑ってみせる。
「本当?」
「ええ」
「それじゃ、僕、ずっとレイさんを守ってあげる。僕、レイさんが喜ぶ事をもっともっとしてあげたいんだ!!」
「あ、ありがとう」
突然のシンヤの言葉に驚いてしまった私は、少しうろたえてしまう。
まだ小学生の彼がこういった言葉を言うのは、微笑ましい。
彼もいつか青年になり、これと同じような事を彼の愛する人に言うのだろうか?
その時、彼は私から離れて行くのだろう。
少し寂しい気がするのは、私にも母性本能と言われる物が備わっているからなのかもしれない。
人間ではない私に母性本能があるなんて喜劇だ。かつて人を滅ぼしかけた私に、人を育て慈しむ本能があるとは・・・。
「レイさん?」
自嘲気味に笑った私を見て、シンヤが不思議そうな顔をしている。
「なんでもないわ。さあ、帰りましょう」
立ち上がり、家に向かって歩き始めた私の右手に、暖かい物が触れた。
見下ろしてみると、シンヤが私の手を握っている。
何故か、彼の手の暖かさが全身に広がって行くような気がして、優しい気分になれた。
「今日は、シンヤの好きなカレーにしましょう」
シンヤは私の手を強く握ってそれに答えてきた。
なんだか嬉しくなった私は、シンヤのために苦手な肉をたっぷりと入れてあげようと、まだ熱さの残るアスファルトを早足で家へと向かった。



To be continued


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