エヴァンゲリオン戦記

Chapter 18: 脱出






ゼーレの首都、コキュートス。
街の中心にそびえる王城の地下、囚人用の部屋の扉が、爆音を立てて吹き飛んだ。
ちょうどその時、扉の前には灰色の甲冑に身をかためた兵士が立っていた。
中にいる捕虜を拷問にかけ、情報を引き出そうと扉に手をかけようとしていたのだ。
一人が爆発に吹き飛ばされ、扉の反対側の壁に叩きつけられた。衝撃で首の骨が折れたのか、倒れた兵士の頭はありえない方向を向いている。
扉は分厚く、頑丈な材木で作られている上、鉄で補強してあるので、囚人が叩き壊す事など不可能である。
吹き飛ばされた兵士と一緒に居たもう一人の兵士が、何が起こったのか理解できずに呆然と立ち尽くしていると、巻き上がった煙を突き抜けて、一つの人影が飛び出してきた。
「っっっ!!」
シンジは片手で驚いている兵士の口を塞ぐと、もう一方の手に持っていた短剣を喉に当て、容赦無く横に滑らせた。
笛を吹く様な音を立てて血液が噴出し、松明で照らされた壁を真紅に染めて行く。
兵士が崩れ落ちると、シンジは短剣を軽く振って、ベットリと付着した血液を払い落とした。
するどい視線を左右に向けて安全を確認すると、迷う事無く左の方向へと走り出す。
彼の頭には、しっかりと地図に書かれていた脱出路が記憶されているので、最短距離を迷わず進んで行く。
しかし、彼が進んでいるのは秘密の脱出路までの最短距離では無く、ある人物が捕らえられている部屋への最短距離であった。
武器と脱出路への地図と交換に、彼はその人物を助け出す事を約束したのだ。
何度も約束を無視して、そのまま逃げようかと迷ったが、結局、彼は約束を破る事が出来なかった。走りながら、彼はお人よしの自分に苦笑してしまった。
この時、彼が約束を破って自分だけで脱出していたなら、歴史は大きく軌道修正をしなければならなかっただろう。 それは、これから彼が助け出す人物が、彼の人生に大きな影響を与える人物だからに他ならない。
そんな事を知る由もないシンジは、全速力で目的地へ向けて走る。
先ほどの爆音を、誰も聞いていなかったとは思えない。すぐに兵士の死体と破壊された扉が発見され、追っ手がかかるであろう。
幸いな事に、普通に城を脱出しようとすれば、反対の方向へ進まなくてはならない。
当然、追っ手は出口の方向に向かうはずなので、少しは時間稼ぎになるだろう。
追われる者特有の緊張感と、不思議な高揚感に包まれながら、シンジは地下通路を走り抜けて行った。



シンジが必死に走っている時、彼の目指している部屋では、二人の拷問官たちが厭らしい顔をして、目の前に吊るされている女性を眺めていた。
鞭で何度も殴られた為に彼女の服はズタズタになっており、素肌が露出している所からは血が滲み出ている。
両手首を縛られ、そこから伸びたロープで天井から吊り下げられており、つま先は床についていない。その為、両手に十分な血液が回らず、かなり青白くなっている。
彼女はうなだれており、蜂蜜色の髪が邪魔をして、その表情を窺い知る事はできない。
「へっ、強情な女だ。早くゲロッちまえば、痛い思いをしなくてもすむのにな」
一人の拷問官がサディスティックな笑いを浮かべると、鞭を振って女性を打った。
ビシッという音が石の壁に囲まれた拷問室に響き、また一つ、女性の美しい肌に赤い花を咲かせた。
「くっ!」
しかし、女性は叫び声を上げず、歯をくいしばって痛みに耐えた。
「お前が命令した事なんだろ?え?はいそうですと言ってみろよ、ほら!!」
立て続けに鞭がうなり、その度に女性が唸り声を上げる。
鞭を持っていないもう一人の拷問官が、樽に入っている水をバケツに汲むと、勢いをつけて女性の顔にぶちかける。
水を吸い込んでしまった女性は、激しくむせて咳きを繰り返した。
「さっさと認めろっ!」
「ゴホッ、ゴホッ、ち、違う・・・」
「まだ言うかっ!!」
また鞭を振り上げようとした拷問官を、もう一人が肩に手を置いて止めた。
「なんだ?」
「へへへ・・・。どれだけ拷問をしたって、この女騎士様は口を割りそうにないな。でも、こうしたらどうかな??きひひ」
拷問官は厭らしい笑い声を上げると、ぼろぼろになった女性の服に手をかけ、一気に破り捨てた。
「キャッ!!」
これにはさすがに驚いたのか、初めて女性が女らしい声を上げた。
破れた服の下から、豊満な胸がこぼれる様に飛び出す。
それを見て、拷問官は舌なめずりをした。
「うへへへ、女に口を割らすには、これが一番効果があるんだ」
「ちげえねえ」
もう一人の拷問官が、下の方も脱がそうと手を伸ばす。
過去、何度もこの方法で捕虜や罪人の口を割らせてきた彼らは、役得とばかりに興奮で目を血走らせた。
女性もあるていどの覚悟はしていたのだろう、くやしそうに下唇を噛み、蒼い瞳で拷問官たちを睨みつけた。
彼女は何時間も拷問を受けていたが、こういった手段を使わないのを不思議に思っていた。
恐らく、この拷問官たちは真性の変態で、人を傷つける事によって性的快感を満足させられるのであろう。
どちらにしても、遅いか早いかの違いでしかなかったが。
騎士となり、女は捨てたつもりだったが、やはりこういった行為に対しては恐怖を覚えてしまう。
しかし、彼女は身に覚えの無い罪など認める気は無い。認めてしまえば、即座に処刑されてしまうだろうからだ。
いや、それ以前に、彼女の騎士としてのプライドが、罪を認める事を否定していた。彼女は、誰にも後ろ指を差されるような生き方はしていないのだから。
とうとう、下半身を覆っていた服も、剥ぎ取られてしまった。
「ひひひ、上玉だぜ、おい」
「体中から血が滲み出てるのも、そそるよなぁ。どれ、味見だ」
拷問官が、鞭打ちで血の滲み出した傷口に舌を伸ばし、ぺロリと舐め上げた。
「うへっ、いい味だぁあ」
「ヒッ!」
あまりのおぞましさに、女性は体を揺すったが、無駄なあがきにすぎなかった。
彼女の体を舐めている男の後ろでは、もう一人の拷問官がズボンをずり下ろし初めている。
「・・・・・・」
陵辱されるくらいなら潔く舌を噛み切って死のうと、舌に歯を当てた瞬間、爆音が響き、閉じられていた扉がぶち破られた。
「な、なんだぁっ!!?」
驚いた拷問官が、脱ぎかけていたズボンに足を引っ掛け、無様に引っ繰り返った。
もう一人も、突然の出来事に呆然としている。
すると一人の青年が拷問室に飛び込んで来て、女性を舐めていた拷問官に短剣を投げつける。飛び込んできた時の勢いを利用して軽くジャンプした青年は、着地と同時に仰向けに倒れていたもう一人の拷問官の喉を踏み潰した。
グシャリと嫌な音と立てて、拷問官が絶命する。
まさに一瞬の出来事であった。
こちらを振り向いた青年を見て、女性は思わず驚きの声を上げる。
「ア、 アンタは・・・・」
「き、君は、あの時の・・・・。アスカ・ラングレー・・だったよね」
お互いに見知った顔である事に、二人は驚き、一瞬呆然とした。
しかし、騒ぎを聞きつけたのか、複数の足音が近づいてくるのに気付いたシンジは、アスカに近づき、彼女の横の壁に短剣で縫い付けられて絶命している拷問官から短剣を引き抜くと、その短剣を使って女性を拘束していたロープを切る。
「話は後だ。今は脱出する事を優先しよう」
「同感ね」
アスカの答えに頷いたシンジであったが、その時初めて、彼女が裸である事に気付き、真っ赤になって目をそらした。
シンジの反応に気付いたアスカも、腕で体を隠して耳まで真っ赤になっる。
「こ、これ着てよ」
シンジは自分が着ていた上着を脱ぎ、シーツを引き裂いて作った即席マントと一緒にアスカに渡した。
「あ、ありがと」
アスカはまず上着を羽織ると、シーツを腰に巻きつけて短いスカートのようにして結ぶ。
彼女が服を着たことを確認したシンジは、扉の外の安全を確認してから外に出た。
通路にはまだ人影は無いが、人の声と足音がかなり近づいている。
「アンタ、どっちに行ったらいいか知ってるの?」
アスカは縛られていたせいでまだ感覚の無い両手を揉みながら、迷う素振りを見せずに通路を進んで行くシンジに向かって声をかけた。
「うん」
簡潔に答えたシンジは、一つのドアの前で立ち止まると、そのドアを蹴破った。
「この中に、ここへ連れてこられた時に没収された武器が置いてあるはずだよ」
恐らく、罪人から没収した物を一時的に保管しておく場所なのだろう部屋には、かなりの数の武器や防具が保管されていた。
「良かった、やっぱりここにあったんだ」
自分の鎧が机の上に置かれているのを見つけたシンジは、そそくさと自分のエヴァを装備すると、今度は武器を探し始める。
「アスカ卿も何か武器を持った方が良い」
そう言って振り向いたシンジだったが、アスカはすでに手ごろな鎧を見つけて装備していた。腰にはもちろん、彼女のエヴァである「レーヴァテイン」が下げられている。
「さあ、早く行くわよ」
レーヴァテインをスラリと抜き放ったアスカの横顔は、まるで戦乙女の様にシンジの目に映った。


短い髪をかきむしりながら、トウジ・ベルフィールドは途方にくれていた。
さあこれからネルフへ侵攻しようとしていたところに、本国からの使者が来たのだ。
使者はこの戦いで相棒となるはずだったアスカ・ラングレーと、彼女が捕らえた捕虜を一人連行して帰って行った。 その結果、彼と彼の軍は国境近くで立ち往生する事になってしまったのだ。
使者は、アスカに叛意があるとトウジに告げ、彼女の指揮権を剥奪する事を宣告した。
一方的な使者の決め付けに、身に覚えがないアスカが食って掛かったが、使者は冷ややかにこう言った。
「アスカ卿、あなたの母上が何者かの手によって城から連れ去られました。目撃者の話によりますと、彼女を連れ出したのは、間違いなく卿の配下の者だったと言う事です」
思いがけない出来事にアスカが絶句した。
アスカの母親は人質である。その母親が娘の遠征中に城から消えた。それはつまり、アスカをゼーレに繋ぎ止めておく鎖が断ち切られたと言う事だ。
大きな兵力を持った番犬を、キールが鎖無しで放し飼いにする訳が無い。
この様な状況に陥った時の為、キールはもう一つの鎖でアスカを縛っていた。
アスカをコントロールする為のもう一つの鎖、それがトウジだ。
二人の内、どちらかが裏切った場合、もう一方がこれを討つ。キールはアスカとトウジにお互いを監視させていたのだ。
仮に二人揃って裏切ったとしても、キールはそんなには困らない。見せしめにキョウコとトウジの妹を殺し、王都の兵力をもって殲滅すれば良いからだ。
その事は十分に分かっていたアスカは、裏切ろうなどとは露ほどにも思っては居なかった。
「そ、そんな・・・・・。わ、私は知らないわ」
「それは本国に帰ってからじっくりとお聞きしましょう」
アスカは抵抗せず、誤解を解くために首都へと帰って行った。
この時、トウジはアスカを弁護してやれなかった。いや、しなかったと言うべきであろうか。アスカに母親と言う護るべき人間が居るのと同様、トウジにも護るべき人間が居る。 もしも仮にアスカが叛意を抱いていた場合、弁護しようとした彼自身はもとより、彼の妹にまで害が及ぶのを恐れたのだ。
いくら騎士とは言え、アスカは女性である。その女性を庇ってやれなかった事に罪悪感はあるが、後悔はしていなかった。トウジは、優先順位をきっちりと守っただけだ。
自分も大人になったものだと苦笑する。国が滅ぶ前の彼ならば、アスカを連れて行かせなどしなかっただろう。
大人になると言う事は、自分の素直な気持ちを押し殺すと言う事なのだろうか。
蛮族の王子は草の上に大の字に寝転がり、過去の出来事について考えるのを中断すると、これからどうしようかと思案し始めた。
このまま進軍するべきなのか、それとも現状維持するべきなのか。
このまま進軍するならば、アスカの連れてきた兵は置いて行かねばならない。
戦いと言うのは、単純に数が増えれば良いと言う訳では無く、他にも多種多様な要素が勝敗を左右する。団体行動を取れるかどうかと言うのも、その内の一つだ。
では、彼が自分の兵とアスカの兵の両方を連れて戦った場合、きっちりと団体行動が維持できるであろうか。答えは否だ。
アスカの兵は彼女に絶対の忠誠を誓っている。彼が指揮しても、素直に従ってくれはしないだろう。それに加え、アスカの兵の能力を知らないトウジには、彼等を手足の様に自在に操る事は不可能である。戦場に連れて行っても、犠牲を増やすばかりでなく、足手まといにすらなる可能性は十分に考えられる。
それでは、アスカの兵をここに残して進軍するのはどうか。
これも難しい問題である。
アスカに叛意ありの情報は、どこから漏れたのか、この遠征軍全体に広がっている。
もちろん、アスカの兵にもだ。
今はトウジと彼の配下の兵が目を光らせているが、彼が居なくなれば、アスカの兵は必ずアスカを取り戻しに王都へと逆進を始めるだろう。そうすれば、アスカの意思とは関係無い場所で内乱が起こってしまうのだ。
ありあまる忠誠心と言うのも考え物だとトウジは思う。もしやアスカの母親を連れ去った輩も、純粋にアスカの事を思って行動を起こしたのではないだろうか。
本国からの使者は、無責任にも彼にこのまま進軍せよと命令したが、これでは動くに動けないではないか。
「まったく簡単に言ってくれるで、ホンマ」
よっこらせと爺くさい掛け声を上げて起き上がったトウジは、大きな欠伸を一つすると、この場所でしばらく野営する事を伝える為に、彼の部下のもとへと歩いて行った。



コキュートスの外れに、小さな広場がある。
この広場は公園になっており、その中央には小さな女神像が立っていた。
目立たない場所にある公園なので、普段から人はあまり居ない。
この日も公園には誰も居なかった。
と、誰も居ないはずの公園に、石を擦り合わせる様な音が響いた。その音に驚いて、公園にいた何羽かの鳥が一斉に飛び上がる。次の瞬間、女神像は大きな音を立てて地面と接吻していた。
「ふぅ、やっと出口にたどり着いた」
女神像が立っていた場所にはポッカリと穴が空いており、そこから甲冑に包まれた手がニュッと出てくる。
「早く出て。追手が来るかもしれないから、出口を早く塞がなくちゃ」
「そうだね」
紫の甲冑に身を包んだ男、シンジが穴から這い出てくると、その後からアスカも出てきた。
二人は協力して女神像を持ち上げると、それを頭から今自分達が出てきた穴へと突っ込んだ。これでたとえ追手が来ても、下から持ち上げるのは不可能だろう。
ずっと緊張状態の続いていた二人は、その作業が終わるとその場にへたり込んでしまった。
二人の体には、そこらじゅうに血がべったりと付着している。これは彼等自身の物では無く、脱出する時に切り伏せたゼーレ兵の返り血であった。
「一体どうして、将軍である君が拷問なんかに掛けられていたんだい?」
しばらくするとシンジが立ち上がり、途方に暮れた様子のアスカに聞いた。
「そんなの・・・・・私が聞きたいわよっ!!」
アスカは吐き捨てる様に言った。
「いきなり謀反を企んだと言われて、誤解を解く為に王都に戻って来たら、そのままあの地下牢へ直行よ。恐らく、あのままあそこに居たら、謀反を確かに企んでいたと言う証明書にサインさせられて、領地は没収、私はあの薄汚い拷問官の慰み者になった後、殺されていたでしょうね」
よろよろと立ち上がったアスカは、そのまま何処かへ立ち去ろうとする。
「これから何処へ行くの?」
「アンタには関係無いでしょ。でも、助けてくれた事には感謝してるわ」
「僕は約束を守っただけだよ」
「約束?」
「うん。君を助けてくれって、城の中で会った女性に言われてね。彼女から武器と、それから脱出路までの地図をもらったんだ」
「そう・・・・。これで死ねない理由がまた一つ増えたわね」
目を閉じ、何かに耐える様に祈りの言葉を囁いたアスカは、シンジに背を向けて歩き出した。恐らく、自分を助けてくれた女性の冥福を祈っていたのだろう。キールが、シンジに武器を渡し得る人物を放って置く訳が無かった。アスカとその女性が、恐らく親しい関係だったであろう事が、彼女の顔を見たシンジには理解できた。
「くっ」
広場から立ち去ろうとしていたアスカが、いきなり倒れた。
シンジが駆け寄って助け起こす。
「大丈夫?」
「は、早く、早く領地に向かわなくちゃ・・・」
「何処に行くつもりか知らないけど、その傷じゃ無理だよ」
拷問の際の傷が痛々しく残っている彼女の肌を見て、シンジが呟いた。
ここまで一人で歩き、しかも剣を振るっていたのが奇跡にすら思える。それくらい、彼女は消耗して見えた。
「それでも私は行かなくちゃ」
キョウコが逃げ込むなら、そこしか無い。そして、それはキールも分かっているはずだ。
一刻も早く領地に戻らなくてはならない。
「負けてらんないのよ!!」
自分を叱咤する様に叫んだ彼女は、よろけながらも前進し始めた。
そんな彼女を見て、シンジはまるで烈火の様だと思った。この少女は、烈火の様な魂を持っている、と。
自分の妻を思い出し、澄んだ水の様に落ち着いた感じのする彼女とは正反対だなとも思った。
マナの包み込む様な暖かさとも違う。触れれば火傷しそうな、そんな熱さを彼女に感じた。
シンジは彼女の隣まで行くと、肩を貸してやった。
「??」
アスカが戸惑いの視線を彼に向ける。
「乗りかかった船だから、きっちり最後まで面倒を見るよ。僕にも時間が無いから、君の領地に着くまでだけど・・・ね」
正直な所、ここが何処なのかさっぱり分からないので、彼女にネルフまでの道案内を頼もうと言う打算は確かにあった。しかしそれ以上に、シンジには彼女を放って行く事が出来なかった。
「とにかく、まずは馬の調達だね」
隣で言ったシンジの吐息が、彼より頭一つ分背の低いアスカの顔に降り掛かる。
「ちょっと、もっと離れてよね。それに、馴れ馴れしく体に触らないで!」
「肩を貸してる状態で、どうしろって言うのさ?」
「う・・・・・・・・・ん?」
言葉に詰まったアスカだったが、視線を彼の横顔に向けると、じーっと見つめる。
「な、何?」
「アンタ、私とどっかで会ってない?」
「え?」
「だから、前に私と何処かで会った事が無いかと聞いてるのよ」
突然何を言い出すのかと、シンジの頭の中にクエスチョンマークが浮かぶ。
「もしかして、僕の事を口説いてるの?」
「はぁ?アンタバカァ?」
空いている方の手でシンジの額をピシャリと叩く。
これが後に、神聖にして不可侵なる存在であるはずのネオ皇帝を生涯悩ませ続けた、彼女の暴力行為の記念すべき第一号目であった。
「あいて!」
「そんな訳が無いでしょうが!私は真剣に聞いてるのよ!」
「う?ん、そんなはずは・・・・・・」
今度はシンジがアスカの顔をじっと見つめる。
そう言われてみれば、何処かで会った様な気もしない事はない。
美しい黄金色の髪、蒼い目、そして温泉。
温泉?
そこまで連想した途端、何かが彼の中で引っかかった。
思い出そうとするが、何故か思い出さない方が良い気がして、やはり知らないとアスカに向かって首を振って見せた。
近くの民家に立ち寄った二人は、城の保管庫から拝借して来た金貨数枚と交換に、馬を手に入れ、アスカの領地へと向かって走り出した。
馬に一人で乗れないほど衰弱しているアスカを見かねて、シンジは彼女を横抱きにして馬を走らせている。かなりの抵抗があった物の、馬が走り出すとアスカは大人しくなった。
そのまま四時間ほど休み無しで馬を走りつづけて、やっと到着したのは日が地平線の向こうへと姿を隠そうとしている時間だった。
あと少しで民家が見え始めるという所で、シンジは辺りになにか異様な匂いが漂っているのに気付いた。
「アスカ卿、なにか匂わない?」
「そういえば・・・・」
なにか物が焦げた匂いがする。
「まさかっ!!!」
シンジの腕を振り解き、馬から飛び降りたアスカが、民家の方へと駆けて行く。この時初めて、シンジはアスカが駈けて行った方向から煙が立ち昇っているのに気付いた。
「う・・・・・これは酷い・・・・」
馬を引いて町へと入ったシンジが見た物は、大量虐殺されたラングレー領の領民達だった。
家々は全て焼かれ、そこらじゅうに死体が転がっている。
焼けた家の中では、大きな黒い塊が、小さな塊を抱えるようにして転がっていた。恐らく、母親が赤ん坊を庇おうとしていたのだろう。
領民の死体の中には剣を持っていたものもあったが、辺りにゼーレ兵の死体が無いところを見ると、空しい抵抗だったのだろう。やはり、正規の訓練を受けた兵隊が相手では、素人が勝てるはずがない。
また、焼けていない若い女性の死体は、ほとんどが全裸であり、この場で何が行われていたかは一目瞭然であった。
シンジは、目を見開いて苦悶の表情を浮かべたままの死体に近づくと、一つずつ目を閉じさせ、短く祈りの言葉を囁いた。
そのまま町の中心へと進んで行くと、小さな噴水のある広場に出た。
その広場の端に、アスカは座り込んでいた。
ぶつぶつと何かを呟いている。
「こんな・・・・・こんな小さな子まで・・・・・・」
彼女の前には、首の無い子供の胴体が転がっていた。首は、彼女が抱きしめている。
嗚咽を上げる彼女に声が掛けられず、シンジはその場に立ち尽くした。
廃墟と化した町を見回して、シンジはキールの異常性を垣間見た気がした。
自らの属領をここまで破壊してしまえば、復興させるまでにかなりの時間と費用がかかる。そして、たとえ町が元通りになったとしても、人々の心の傷や憎しみは決して消えはしない。
彼は、一体何を求めているのだろうか。名誉、権力、または快楽なのか。
ガタガタと震え始めたアスカを、シンジはゆっくりと背中から抱きしめた。そうしなければ、彼女の中の炎が消えてしまうような気がした。彼女の炎が消えた時、彼女の心は消えてしまうだろうから。
「母上も見つからない・・・・。多分、あの黒焦げの死体の中の一つよ。私には、何も無くなってしまった・・・・・・。何も・・・・」
虚ろな目をしたアスカは、子供の頭をゆっくりと地面に下ろすと、おもむろにレーヴァテインを抜き放ち、自分の腹に向けて突き入れた。
が、レーヴァテインは彼女を突き刺す寸前で止まっていた。
ジュッと言う音と一緒に、肉の焼ける匂いがアスカの鼻に届く。
レーヴァテインは、アスカの体に届く直前で、後ろから伸びてきたシンジの手によって掴まれていた。手が切れて流れ出た血液が、ジュウジュウと剣から蒸発して行く。
シンジはアスカの手からレーヴァテインを奪い取ると、彼女の手が届かない場所へ投げ捨てた。
「バカ野郎!!」
平手でアスカの頬を打ったシンジは、彼女の胸倉を掴んで自分の方へと引き寄せると、大声で怒鳴った。
「見たのか!?君は自分の母親の死体を見たのか!?」
確認はしていないと弱久しくアスカは首を振る。
「じゃあ諦めるな!!生きて、探せばいい!」
「でも、でも私は領民を守れなかった!何の罪も無い人達を死なせてしまった!私には、死んで彼等に詫びる事しか思いつかない」
「違う、それは違うよアスカ卿。君がやろうとしているのは、逃げる事だ」
嫌っている“逃げ”と言う言葉を出され、怒ったアスカはシンジを睨みつけた。
「死ぬなんて、ほんの一瞬の苦しみでしかない。君が彼等の死に対して責任を感じているなら、生きる事が彼等に対する贖罪だと思う。生きて、こんな悲劇が起きない世の中にする事こそ、彼等は喜ぶと思う。だから・・・・・逃げちゃ駄目だ!!」
シンジは真っ直ぐな目で言った。彼の言葉は、半ば自分自身に向けられた物である。
彼が居ない間、ネルフではこれと同じ様な虐殺が幾度となく起こっているはずだ。自分が居ればどうにか出来たとは思わない。だが、何も知らずに他国で暮らしていた自分が許せなかった。
「僕と一緒に来ないか?」
アスカから手をはなして立ち上がったシンジは、火傷を負った右手を彼女の目の前に差し出した。
「僕の国では、これと同じ様な事が日常茶飯事に起こっている。国民は塗炭の苦しみを味わっているんだ。僕には、彼等を救わなければならない義務がある」
「義務?」
問い掛けたアスカに、シンジは力強く頷いて見せた。
「あらためて自己紹介するよ。僕はネルフの王太子、シンジ・イカリ。これからネルフを救う為に戦うつもりなんだ。そして、もしネルフを救えたら・・・ゼーレの人達も救ってあげたいと思う。あの悪魔の様な王を、野放しには出来ない。ましてや、彼に大陸統一なんて、絶対にさせては駄目だ」
シンジが落日を背にしている為、アスカからは彼の顔が影になって見えなかったが、何故か彼が自分を意志の強い眼差しで見つめているのが分かった。
そして、気が付いた時、彼女は彼の手を取っていた。
「君は生きて自分自身の進むべき道を探さなくちゃ駄目だ。その道が見つかるまで、君の命・・・このシンジ・イカリが預かった!」
シンジはアスカの手を引いて立ち上がらせると、転がっていたレーヴァテインを拾って彼女に渡し、引いてきた馬に飛び乗った。
そしてさっきと同じ様に彼女に手を伸ばし、彼女がその手を握ると一気に馬上へと引っ張り上げる。
「これからネルフに向かうけど、君の軍は連れて行けそうかい?」
「彼等はほぼ全員がこの領地の出身よ。私が誘えば、必ずついて来てくれるはずよ」
ここに来るとき同様、シンジの腕の中へ収まったアスカが、少し恥ずかしそうに言った。
「分かった。じゃあ、君の軍を追おう。運が良ければ、彼等がネルフ軍と交戦を開始する前に止められるかも」
シンジとアスカを乗せた馬は、一路、国境を目指して走り出した。



シンジとアスカが国境へと向けて走り出した頃、ラングレー領の北側、つまりネルフとは逆方向に伸びている小さな獣道を、二人の男が南下していた。
地元の人間でしか知らないような細い道を、二人はまるで自分の家の庭を歩いている様にスイスイと進んで行く。
二人とも若いが、一人はまだ十代のあどけなさを残した青年で、この大陸では珍しいガラス細工を使った眼鏡をつけている。もう一人は、二十台後半の男で、長めの髪を頭の後ろで結んでおり、無精髭を生やしている。
と、それまで軽快に道を進んでいた二人が急に立ち止まった。
「師匠」
前を歩いていた青年が、後ろの男に注意を促すような口調で言った。
「ああ。血の匂いだな」
師匠と呼ばれた男も気付いていた様で、小さく頷いてみせる。
だが、男はどうやらつまらない旅が終わりそうな予感に、不敵な笑みを浮かべている。
辺りを警戒しながらも、二人が先へと進んでゆくと、何人かの人が倒れているのが見えた。
眼鏡の青年が倒れている人間に駆け寄って行ったが、どうやら全員が絶命していた様で、無精髭の男に向かって首を振って見せる。
しかし、無精髭の男は一人生存者が居るのを見つけた。かなり酷い傷を負ってはいるが、かすかに息はある。
他の死体が全て兵士であるのに対し、生存者は美しい女性だった。
「ほほう、これはこれは・・・・」
男はジョリジョリした顎を撫でながら、じっと興味深そうに女性の顔を見つめた。
「師匠!みとれている場合では無いでしょう!!」
眼鏡の青年が、無精髭の男を怒鳴りつけた。
一目見ただけで、女性が危険な状態である事が分かる。
眼鏡の青年が見事な手際で女性に応急処置を施して行く。
「う、これは酷い」
傷の酷さに眉を寄せる青年を無視して、無精髭の男は他の死体を調べていた。冷たい様に思われるが、彼等の任務は人命救助では無く、情報収集なのだ。
死んでいる人間の半数がゼーレ兵で、後半分は赤い鎧を身につけた騎士達だ。
「内乱か・・・・・」
男臭い笑みを浮かべた無精髭の男は、青年の治療を受けている女性に視線を移した。
「ゼーレの薔薇・・・。これは利用できるかもな・・・・・」
男は懐から巻きタバコを取り出すと、火をつけて紫煙をオレンジ色の空へと漂わせた。





to be continued


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