エヴァンゲリオン戦記
Chapter 23: ヴェノム
大陸の中央部に位置し、侵略に侵略を重ねて国土を広げているゼーレの北には、まだ幾つかの国がまるで天敵に怯える小動物のように身を寄せ合っていた。
『北方同盟』と呼ばれる小国の集合体は、ディオクレス公国を盟主として、自衛の為に硬く結束している。
ディオクレス公国にはエヴァンゲリオンの保持者が多く、ゼーレとて容易に攻め込めない。
一騎当千の『福音騎士』を倒すには、かなりの損害が予想されるからである。
北方同盟の結成以来、ゼーレ軍と同盟軍は国境付近で数多くの小競り合いを繰り返してきたが、最後の小競り合いで両者共に大きな損害を受けてからと言うもの、硬直状態が続いていた。
現在、ゼーレ軍は25万もの軍勢を国境に貼り付け、北方同盟を封殺しているが、ゼーレが南方で抵抗を続けているリリスとネルフの二カ国を平定すれば、更に増強されて北方同盟に戦いを挑むのは目に見えていた。
女性ながらにディオクレス公国の主であるマヤ・ブリーズ・トゥル・ディオクレスは、彼女の前に居並ぶ歴戦の勇士たちを見回した。
彼女の配下には、エヴァンゲリオンを持つ6人の騎士がいる。
まず、六人の中で最も戦闘力の高いフィン・マクガイア。彼は神剣「ディムロス」を持っていて、マヤの腹心とも言える男だ。
二人目はエルンスト・マッハ。女性のような風貌を持つ彼の腰に下げられているのは、神剣「アトワイト」。細身のその剣を戦場で振るエルンストは、まるで舞いを踊っているように華麗な事で有名だ。
三人目の名はライオネル・ロビンズ。黒髪を腰辺りにまで伸ばしたこの男は、六人の中で一番知略に優れた男である。その為、彼はめったに前線には出ず、後方でマヤやフィンの参謀として活躍してきた。後にリツコと知恵比べをして、完膚なきまでに叩きのめされた彼が、自慢の黒髪をバッサリと切り落としたと言う逸話が残っている。
四人目の名前はフランク・ナイト。代々公国に仕えて来た騎士の一人で、六人の中では最年長である。白髪の混じり始めた頭髪と、年齢を感じさせない強靭な筋肉を持つ騎士である。また、実戦経験も豊富で、彼の熟練した用兵はゼーレ軍を何度も苦しめた。彼の持つエヴァの名は神剣「イクティノス」。
五人目の名はハンス・アルバート。神剣「シャルティエ」を持つ騎士である。貴族出身の彼はプライドが高く、一人で行動する事が多い。だが、剣の腕はとても高く、実戦でなければフィンですら彼には敵わないであろう。
最後の一人の名はノーバート・ウィナー。神剣「ベルセリオス」を持つ青年、いや、少年だ。六人の中では最年少の彼は、この時たった15歳であった。他の五名の騎士達と供に直立不動の体勢で立ちながらマヤを見る彼の目には、忠誠心とは違った熱が篭っている。
「ゼーレに放った『草(密偵)』からの報告によれば、ネルフの国土解放軍がゼーレ軍に勝利し、ネルフからゼーレ軍が駆逐されたとのことです」
額にかかった黒髪をはらいのけて、ライオネルが言った。
「それは朗報だ。リリスとネルフが存在している限り、ゼーレは私達と全力で事をかまえる事は出来ない」
これで当分の間は、ゼーレの馬鹿どもは動けまいと、フランクが笑う。
「たしかに動けないでしょうけど、相手は25万の大軍よ。大損害覚悟で攻めてこられたら、おそらく負けるわ」
エルンストが、溜息をつく。
誤解の無いように言っておくが、彼はれっきとした男である。
ただ、個人的な趣味で女言葉を使っているだけだ。
「敗北主義者が」
「なんですってーーーっ!!もう一度言ってみな、この○○○野郎!!」
ハンスが吐き捨てるように呟いた言葉がエルンストの耳に届き、彼が剣に手を掛けた。
虫も殺せなさそうなエルンストの口から出た言葉は、彼の風貌とはあまりにもミスマッチな物だった。
「わあっ!!止めてくださいエルンストさん!!ほら、フランクさんも二人を止めてください」
ノーバートが慌てて止めに入るが、ハンスとエルンストは睨み合ったたまま動かない。
「止めろ!!公爵殿下の御前である、静まらんか!!」
フィンが一喝すると、二人は渋々と言った感じで睨み合いを止めた。
「みなさん、安心してください。もう既に手は打ってあります。私の命令で、ゼーレに潜入していた『草』がネルフに向かっています。近々、彼等と連携して北と南からゼーレに攻撃をかける予定です」
ディオクレス公国の統治者にして、北方同盟の盟主でもあるマヤ・ブリーズ・トゥル・ディオクレス公爵が口を開いた。
彼女はゼーレとの戦いで父を亡くし、21歳の若さで公国の統治者となった。
父が戦死した後、女性だからと言って甘く見られてはいけないと、長かった髪をバッサリと切ったのだが、童顔の彼女はよけい可愛らしくなってしまい、それが彼女の密かな悩みになっている。
「お言葉ですが、連携すると言ってもネルフとディオクレスの間には、広大なゼーレ領が広がっているのですよ?どうやって連絡を取り合うのですか?」
フランクが声を上げた。
確かに、北方同盟とネルフの間には敵地であるゼーレ領が広がっており、国境が接している場所が無い為に連絡を取り合う事が出来ない。
仮に密偵を放ってゼーレ領を横断させようとしても、国境には25万ものゼーレ兵が配置されているのだ。捕えられてしまう事は必至である。
「そうですね。常識的に考えれば我々がネルフと連携してゼーレと戦うのは不可能でしょう。しかし『彼』であれば、ゼーレを横断してネルフと連絡を取る事が可能です」
「なるほど、『彼』ですな。確かに『彼』であれば可能でしょう」
フランクは得心がいったとばかりに頷いた。
「はにゃ〜ん」
一日の仕事を終えたマヤ・ブリーズ・トゥル・ディオクレス公爵は、自室に戻るなり意味不明な溜息をついてベッドに倒れこんだ。
彼女の少女趣味丸出しの部屋は、今は亡き父から送られた縫いぐるみで覆い尽くされていた。
犬、馬、牛、猿、鳥、ペンギン、その他にも得体の知れない奇々怪々な形の縫いぐるみが所狭しと並べられ、いつもと変わらぬ表情でベッドの上のマヤを見つめている。
「お父様ぁ〜、やっぱり私には無理ですぅ〜」
あふぅ、と二回目の溜息をついたマヤは、仰向けになって天井を見上げた。
「私には向いてないのよ、絶対。威厳ある公爵様でいるのは・・・・。私って人望も無いし・・・・・」
ムクリと起き上がった彼女は、こった肩をほぐす為に頭を左右に傾ける。
「あ〜あ、どっかに白馬の王子様は居ないかしら。『私をさらって行って下さい・・・』なんちゃって・・・・きゃは(星マーク)」
妄想モードに入ったマヤ・ブリーズ・トゥル・ディオクレス公爵は、夕食の準備が出来た事を伝える為に侍女が来るまで、ずっとベッドの上で上下左右に転がり続けていた。
重臣たちが彼女のこの姿を見たら、北方同盟が明日にでも崩壊してしまう事は間違い無しである。
彼女は知らない。
彼女がディオクレス公国の国務を完璧にこなせている事を。
彼女は知らない。
彼女が公国のみならず、北方同盟内で絶大な人望を得ている事を。
彼女は知らない。
彼女がそれほど遠くない未来に、念願の王子様と出会う事を。
「ふぇくしっ!!」
「どうなされました殿下、お風邪をめされましたか?」
「いや、大丈夫だリツコ卿。それより、父上が到着なされるまで、後どれくらいだ?」
「昼過ぎには到着される予定ですので、もう間もなくでしょう」
「そうか・・・・。では、私は出迎えに参上せねばならんな」
「緊張・・・されているのですか?」
シンジはいつになく硬い表情をしている。
「陛下にお会いするのは三年ぶりだ。しかも、今までろくに話もした事が無いのだから、無理もないだろう?」
それにしても、とリツコの前を歩いていたシンジは振り返った。
「卿の方が、俺よりよほど緊張しているように見える」
硬い表情もそうだが、動き方までどこかギクシャクしているリツコを見て、シンジは少し呆れてみせた。
ただ、リツコの表情にどこか暗い影のような物も感じ、同時に心配にもなったが、シンジはあえて深く追求する事は無かった。
ネルフ国王一行は、まずジオフロントの街中をパレードしながら通過し、国民に王の健在ぶりをアピールしてから入城する予定となっている。
ジオフロントには街へと入る為の門と、街の中心にある王城へ入る為の門の二つがあるが、シンジは王城の門で父王の到着を待つ事になった。
礼服に着替え、国王一行の受け入れ準備をしていたシンジは、場違いな少女の泣き声がするのに気付いた。
何事かと近寄って行くと、そこにはシュトース・ヴィントの隊員であるキースとウェインが困った顔で立ち尽くしている。
スマートで貴公子的な雰囲気を持っているキースと、熊のような体に海賊のような風貌を持つウェインの凸凹コンビは、目の前で座り込んで泣いている少女をどうにか慰めようと奮闘していたが、ウェインの外見が火に油をそそいでいるらしく、少女は一向に泣き止んでくれない。
「どうかしたのか?」
シンジが話し掛けると、二人は戦場では見たこともない情け無い顔をして振り返った。
「これは殿下。それが、どうやら街の子供が迷い込んで来たらしく、道に迷って泣いていたので事情を聞こうとしていたのですが、どうも上手く行かないんですよ」
「頭を撫でようと手を伸ばすとピーピー泣きやがるし、途方に暮れてた所でさぁな」
それはお前が怖いからだ、と心の中で突っ込みを入れたシンジは、壁際にうずくまって泣いている少女に視線を移した。
短く切りそろえられた黒髪を持つ少女を見て、シンジは一目で彼女が街の少女では無い事を悟った。
まず、服装が明らかに街で遊ぶ少年少女の物とは違っていた。それに加え、泣き方にどこか上品さがある。普通の子供ならばこの様な場合、わんわんと大声を上げて泣くものだが、彼女はシクシクとすすり上げるようにして泣いている。しかも涙を服の袖などで拭わずに、手に持ったハンカチで拭き取っているのだ。
城で生活している貴族か騎士の娘だろうと当たりをつけたシンジは、親の名を聞きだそうと少女の前にしゃがみ込んだ。
「そなた、名はなんと申す?」
「・・・アリシア・・・アリシア・クレオンテです、王太子殿下」
シンジが問うと、少女はゆっくりと顔を上げて答えた。
「私の事を知っているのか?」
「はい・・・いつも妃殿下からお話を聞いておりますから・・・」
「妃殿下?・・・レイから?」
そう言われて、シンジは初めてこの少女を見たことがある事に気付いた。
たしか先日、噴水で遊んでいた子供達の中にこの少女は居たはずだ。
レイが孤児達を引き取って育てていると言う話は聞いている。恐らく、この娘もその中の一人なのだろう。
「道に迷って泣いていたのか?」
アリシアが涙で濡れた頬を赤く染めて小さく頷いたのを見て微笑したシンジは、アリシアを抱き上げた。
礼服に涙と鼻水で汚れたアリシアの顔が押し付けられるのを見て、周りの侍女たちが悲鳴を上げる。
「殿下、服が汚れてしまいます!」
「構わん」
一言で切って捨てたシンジは、レイの私室の方へと歩き始めた。
「殿下、良ければ私たちが彼女を連れて行きますが?」
キースが申し出たが、シンジは苦笑を浮かべた。
「お前達では、またこの娘が泣き出してしまう。それに、この娘を届ける先はお前達では入れんからな」
王族の私室は王城の一番奥に位置しており、常に近衛兵によって護られている。
一般の兵士は王族の居住区に近寄る事は出来ないのだ。
暗殺者であるエレボスは二度に渡ってシンジの部屋へ侵入しているが、これは近衛兵の力不足と言うよりは、エレボスの隠密行動が完璧であった為である。
本来であれば賊の侵入を許してしまった近衛兵は厳罰に処せられ、斬首と言う可能性もあるが、シンジがエレボスを助命し、なおかつ進入自体が無かった事になっている為、彼らは責めを負う事は無かった。
もちろん、一回目の進入の後に警備の強化は徹底して行われたが、彼らの努力も空しく二回目の進入を許してしまっていた。
「私の事は怖くないか?」
シンジが腕の中で小さくなっているアリシアに尋ねると、彼女は首を振って見せた。
彼女はすでに泣き止んでおり、シンジの服をしっかりと、だが皺にならないように遠慮がちに握り締めている。
「いいえ殿下。いつも妃殿下からお話をお聞きしておりましたから・・・」
「レイはなんと?」
「とても・・・・・とても優しい方だとおっしゃっておられました。殿下と一緒に居るだけで、世界が違って見えると・・・。実際にお会いして、妃殿下のおっしゃられていた事は本当だったんだって分かりました」
アリシアは微笑むと、もう一人で歩けるから大丈夫だと言って降ろしてもらい、シンジが差し出した手を握って歩き始めた。
「レイがそんな事を・・・」
シンジにとって、アリシアから聞いた話は意外であった。
てっきり酷い男だと聞かされると思っていたのが、それとは全く逆の内容だったからだ。
レイに限って、子供に作り話を聞かせたり、嘘をついたりするとは思えない。
と言う事は、レイはまだシンジに好意を寄せていると言う事なのだろうか。
であればシンジの見たあの光景、あれは一体?
混乱してきたシンジは、レイの部屋を通り過ぎそうになり、アリシアから声をかけられてようやく足を止めた。
「これはこれは、王太子殿下」
ノックをすると、部屋から侍女が顔を出した。
「レイは居るか?」
「はい、今は奥で国王陛下をお出迎えする為に礼服に着替えられておられます。どうぞ中へ」
初めて王太子が妻の部屋へ訪れたと言う事もあって、すこし興奮気味に顔を上気させた侍女が入室を進めたが、シンジは丁寧に辞退した。
「迷子を連れてきただけだ、特にレイに用はない」
そう言ってシンジが踵をかえそうとした時、部屋の奥から誰かが出て来る気配がした。
「リエン、誰か来ているのですか?」
奥から出て来たのはレイと孤児の残り三人組であった。
ドレスを着たレイは妖精のように美しく、三年で長くなった髪はおだんごにして頭の後ろでまとめているので、彼女は普段より大人びて見える。
レイは入り口にシンジが立っているのを見つけると、まるで花のような笑みを浮かべた。
「殿下・・・」
王太子妃付きの侍女であるリエンは、侍女の手本と言えるような身のこなしで別室の方へと去っていった。恐らく気をきかせたのだろう。
「迷子を届に来ただけだ。まだ陛下の到着までは時間があるから、準備を続けておきなさ・・・・・・うわっ!」
シンジが言い終わる前に、何かが凄い勢いでぶつかって来た。
「おー。本物の王子さんだ!!」
「わ〜い、お兄ちゃんだ〜!!」
レイの後ろから飛び出したレビアとローザのやんちゃコンビは、キャピキャピとはしゃぎながらシンジに抱きついた。
その二人をシンジの後ろから見ているアリシアは、どこか不満げな顔をしている。
飛びつかれた当のシンジと言えば、突然の出来事に目を丸くしていた。
「・・・・・・止めなさい」
たった一言、大きいとは言えない声でレイが呟くと、はしゃいでいた二人の動きがピタリと止まった。
実はつい先日、ローザはレイの『お仕置き』を初めて体験したばかりだった。
さすがにストリートチルドレンとして生活していたローザも、あれほどの恐怖を味わった事は今まで数えるほどしかない。
自然とレイの機嫌に敏感になっていた。
「貴方達は奥の部屋へ行ってなさい、後でおしお・・・・」
「ぱ〜ぱ〜。ま〜ま〜、ぱ〜ぱ〜が居るー」
レイが言葉を続けようとした時、思わぬ所から思わぬ声が上がった。
ようやく思考能力が再起動しかけたシンジの頭が、また混乱し始めた。
「ママ??パパ????なんの事だ???」
パパ、パパと呼びながら自分に向かって歩いてくるセトに混乱したシンジが、レイに視線を向けてみると、彼女は少し驚いたような顔をしてシンジを見てから、プイッと顔を背けた。
レイは横を向いたまま恥ずかしそうに俯いていて、その顔は真っ赤に染まっている。
「お姉ちゃん照れてるぅ〜。お兄ちゃん、お姉ちゃんったらね、セトを抱いてる時にお兄ちゃんを見かけたりすると、いつも『セト、あれがパパよ』とか真っ赤になりながら言ってたから、セトがそれを信じちゃったみたい」
ニヤニヤとしながらレビアが説明すると、レイの顔の角度はさらに下がり、首筋が見ていて可哀想になるほど真っ赤になった。
「これは・・・・その・・・・」
ブツブツと呟きながら、レイは胸の前で両手の人差し指をチョイチョイと合わせ始める。
「レイ・・・・」
シンジが声を掛けようとした時、部屋の扉がノックされた。
「殿下、陛下がご到着されました。至急、城門までおいでくださいますよう」
漆黒の鎧に身を包んだミサトが、国王の帰還を告げる。
彼女の後ろには、赤い鎧を着たアスカの姿も見える。
「分かった、今すぐ行く」
レイに言いかけた言葉を飲み込んでから、小さく溜息をついたシンジが答えた。
そして、おもむろに左手をレイに差し出す。
「陛下をお迎えに行くぞ」
しばらくキョトンと差し出された左手を見つめていたレイは、はっとして自分の右手を添えるようにして乗せた。
侍女によって開けられた扉を、シンジがレイをエスコートして出てゆく。
廊下に並んだレイの侍女達は、まるでおじぎ草のようにシンジ達が彼女らの前を通ると頭を下げて行く。
シンジ達の少し後ろを、ミサトとアスカが付き従う。
レビア、ローザ、そしてアリシアは二人の女騎士の後ろに続いた。セトは例によってアリシアが抱いている。
城の誰もが、並んで歩く王太子とその妻を見て溜息をついた。
正装したシンジは王族の風格も漂い始め、女性の目を釘付けにした。また、その隣に寄り添うレイはどこか恥ずかしげに目を伏せているが、幸せそうなその顔が可憐な花を連想させる。警備の兵士達は、レイを見て硬直し、彼女らが通り過ぎてしばらくしてから慌てて敬礼する始末だ。
そんな二人を後ろから見ていたレビアは、頬が緩んで来るのを止められなかった。シンジにエスコートされるレイは、今まで彼女が見たことも無いほど幸せそうだ。
この二人ほど並んで立っていて絵になる夫婦は、大陸広しと言えども何処にも居ないだろう。
なんだか二人の事が誇らしく思えたレビアは、満面の笑みを浮かべてシンジとレイの後についていった。
スキップしながら彼女が廊下の向こう側へと消えた後、ギラついた目をした警備兵の一人が、自分の持ち場から離れて行った事に、誰も気付く事は無かった。
城門付近は、出迎えの人間でごったがえしていた。
警備の兵士達がいつもとは違った煌びやかな装飾を鎧に付けて立ち並び、貴族や重鎮たちが王を迎えて万歳三唱を行っている。
城門から橋を越えた向こう側では、国王の行列の後を付いて来た民衆達が歓声を上げていた。
そんな人ごみの中に、レオンは立っていた。
フードを深く被り、暗く濁った目を城門へと向けている。
「うまくやれよ・・・・・」
レイに刺された傷を押さえながら、彼はつぶやく。
どうやら王太子は本物だったようで、王太子妃をたぶらかして傀儡に仕立て上げるという彼の目論見は粉砕されてしまった。
幸運だったのは、レイが彼を捕縛、もしくは抹殺しようとしなかった事だ。彼女は夫の耳にレオンとの出来事が入るのを避けたかったのか、あの事件を黙殺した。
そのおかげで、傷の手当てをしたレオンは最後の賭けに出る事が出来る。
打ち合わせ通りなら、もうすぐ『それ』は起こるはずだ。
レオンは一度深く深呼吸すると、汗ばんだ手を服に擦りつけて拭った。
シンジとレイが城門に到着したのは、ちょうどネルフ国王であるゲンドウの乗馬が橋を渡っている所だった。
三年前と比べ、父王は痩せたようにシンジには思えた。だが、右腕の無い国王はそれでも王者の風格をもっており、民衆もそんな国王の帰還に惜しみない歓声を上げている。
果たして自分はあのように民衆から慕われる執政者になれるのだろうか。シンジは不安を感じたが、それを上回る使命感が湧き上がって来る。彼は閉じたり開いたりさせていた右手を、強く握り締めた。
城門に辿り着いたゲンドウは、馬から下りてシンジ達が待つ方へとやって来た。彼の後ろには影のようにコウゾウが付き従っている。
ゲンドウが目の前まで来ると、レイはドレスの裾を持ち上げながら少し膝を折って見せ、シンジは長い軍隊生活を連想させるキビキビとした動きで深々と礼をした。
彼らの後ろでは、ミサトを始めとする武官達も最敬礼をして国王に頭を垂れた。
「父上、お久しゅうございます。長きに渡る親不孝、お許しくださいませ」
苦手としか表現出来ない父親に対して、ここまでしっかりした言葉をかけられたのはシンジがこの三年間で精神的に成長した証拠であったが、それに対しての父の言葉は、冷ややかな、三年前と変わり無い物であった。
「問題無い」
一言だけ言った王は、そのまま城内へと入って行く。
涙にむせび泣きながら、抱擁を交わしたいとまでは言いはしないが、せめてもう少し会話をしてくれても良いのでは無いだろうか。
なんなら、行方不明になっていた事に怒って罵声を投げつけるのでも良い。
あいかわらずの父王に、シンジは軽い失望感を覚えた。
「さあレイ、行こう」
踵を返したシンジは、父王を追って城内へと歩き出す。
肩を落すシンジを見て、隣で一部始終を見ていたレイは歯がゆさを感じていた。
なんと不器用な親子なのであろうか。
ゲンドウはレイや他の家臣と話す時、あれほど冷たい態度を取る事は無い。ゲンドウはまるでシンジから拒絶されるのを恐れ、彼を遠ざけようとしているように見える。
シンジもシンジで、もう一歩踏み出す勇気があれば、父と打ち解ける事が出来るのでは無いだろうか。
ゲンドウとシンジは、共に過ごした時間が極端に少なく、言わば親子初心者だ。お互いに親子として取るべき距離がつかめず、困惑しているのだろう。
これは時間とお互いの努力次第で解決出来る問題だ。
そう考えると、レイはこの親子を見ていて歯がゆく感じる反面、羨ましくもあった。
二人には理解しあえる大きな可能性がある。自分のように生まれた時から疎まれている訳では無い。
もうこの世には居ない両親を思い、寂しさを感じたレイは右手から伝わるシンジの体温に意識を集中し、ともすれば沈みそうな気分を紛らわせそうと努力した。
そして足元に落していた視線を前に向けた時、彼女は『それ』に気付いた。
警備兵の中に、明らかに挙動不審な一人がいる。
そわそわしながら、ギラついた目でこちらを見ているのだ。彼の額には、汗が粒のように浮かんでいた。
彼の手が腰の方へと動いて行くと、短剣が引き抜かれるのが見える。
隣のシンジに気付いた様子は無い。
レイが声を上げようとしたのと同時に、男がこちらに向けて飛び掛って来た。
その時になって初めてシンジは兵士に気付き、レイを庇うように彼女の前に体を出すと、護身用の短剣を引き抜こうとするが、間に合わない。
「殿下!!」
「シンジっ!!」
彼らの後ろにいたミサトとアスカも咄嗟に剣を引き抜いて駆け寄ろうとするが、もう不審者はシンジの目の前にまで迫っていた。
鈍く光る短剣が、シンジに向けて突き出される。
気付くのが遅れた為、シンジもレイを庇うのが精一杯で、どうしてもその剣を避けられない。
誰もがその禍々しい光りに目を奪われ、動けないでいた一瞬、ただ一人、信じられない行動を取った人物がいた。
「シンジ様っ!!」
レイがシンジを横へと突き飛ばしたのだ。
思わぬ方向から体当たりされたシンジの体は大きく横へと移動し、代わりにレイの体がシンジの体があった場所に移動する。そして、不審者の短剣はレイの腹部へと吸い込まれて行った。
「レイーーーーーーーーっ!!」
倒れたレイを見て、シンジが叫ぶ。
「貴様っ!!」
すでに護身用の短剣を抜き放っていたシンジは、稲妻のようなスピードで不審者に斬りかかった。
次の瞬間、不審者の右腕は切り飛ばされ、その次の瞬間には左手首が飛ばされていた。
「よくもレイをっっ!!殺してやるっ!!殺してやるぞっ!!」
怒りで頭が真っ白になったシンジは、頭を叩き割ろうと剣を振り下ろすが、その剣は途中でアスカの剣で止められてしまう。
「いけません殿下っ!!」
「なにをするアスカっ!!!邪魔をするなっ!!」
なお斬りつけようとするシンジを、今度はミサトが背中から羽交い絞めにする。
「殿下、落ち着いて下さい。お気持ちは分かりますが、この男を殺してしまっては、誰の差し金かが分からなくなってしまいます!!」
「知った事かぁっ!!」
「・・・・で、殿下・・・・」
怒りで我を忘れたシンジだったが、倒れたレイが上げたか細い声に我に帰ると、レイへ駆け寄って彼女を抱き起こした。
「レイ、レイっ!!」
「殿下・・・・、ご無事でしたか?」
「ああ、無事だ、無事だ。どうして?どうしてあんな馬鹿な事をっ!?」
レイに問いかけながらも、シンジは血の滲んだレイのドレスの腹部を破いて、傷の具合を確かめる。
幸い短剣はレイの腹部には刺さっておらず、脇腹を掠めただけのようだ。しかし、生々しい傷口からはまだかなり出血していて、レイのドレスを鮮やかな紅へと染め上げて行く。
シンジは自分の礼服の一部を引き裂くと、それで傷を押さえつけて止血する。
「貴方を・・・・貴方が居なくなるのが嫌だったから・・・・もう、もうあんな思いは二度としたくなかったから・・・・」
レイが手を上げてシンジの頬を愛しそうに撫でる。その手に自分の手を重ねたシンジは、騒然となっている周囲を見回した。
「医者は、医者はまだか!?」
警備の兵士たちがシンジを襲撃した不審者を押さえつけ、子供達は泣きじゃくっている。
「さきほど衛兵を一人送りましたので、今こちらに向かっている途中です。もうしばらくお待ちを」
焦るシンジに、ミサトが答えた。
「う・・・ううっ・・・」
「レイ???レイ、しっかりしろ!!」
うめいたレイの顔が、青白くなっている。だが、失血はそれほど酷い物では無い。
はっとしたシンジは、傷口を押さえつけていた布から手を離すと、あらためて傷口を見てみた。すると、傷口の周囲が不自然に黒ずんでいる。普通、切り傷の周辺が黒ずむ事はまず無い。
「毒かっっ!!??」
シンジは自分を殴りつけたい衝動に駆られた。
襲撃に使われたのは、殺傷能力の低い短剣であった以上、刀身に毒が塗ってある事は十分に考えられた事だ。
レイの呼吸が荒くなり、体全体が熱っぽくなっている。危険な状態だ。
彼は躊躇いなく傷口に口を付けると、血を吸い出し始めた。
毒が体に回り始めた以上、効果は薄いであろうが、それでも何もしないよりは良い。
血を吸っては吐き出す事を何度もくり返す。その度にレイがうめき声を上げた。
「・・・・・・殿下・・・・お顔が汚れてしまいます・・」
レイがか細い声で言うのを聞いて、シンジは涙が流れ落ちるのを堪えられなかった。
「レイ・・・どうして・・・。もっと自分の心配をしろっ・・・・」
「私が死んでも・・・代わりはいるもの・・・・」
「馬鹿野郎っ!!!!!」
怒鳴りつけられたレイは、傷の痛みも忘れ、驚きに目を丸くした。彼女は、シンジがここまで怒ったのを見たのは初めてだった。
自分が死んでも、シンジが新しい妃を迎えればネルフ王家の血筋が途絶える事は無いのだ。
もちろん、自分が居なくなった後、シンジが自分ではない誰かを愛するのは悲しいが、シンジが幸せになり、王家の血筋が途絶える事が無いのであれば、彼女は喜んで命を捧げる事が出来る。
そう考えての言葉だったのだが、今、シンジは涙を流しながら本気で怒っていた。
「お前の代わりなんて居ない。レイは約束を破る気か?二人で歩いて行こうって、そう言ったのは嘘だったのか・・・・?」
「殿下・・・・」
三年前、結婚初夜の約束。
レイも泣いていた。
「愛してるんだ、レイ。もうお前が誰の事を愛していようが関係ない。俺を置いて死んだりしないでくれ・・・。くそっ!医者はまだなのかっ!!!」
「・・嬉しい・・・嬉しい・・・・殿下、愛してます」
自分を強く抱きしめるシンジの腕に答えるように、レイも彼の首に自分の腕を回す。
二度目のキスは、錆びた鉄の味がした。
唇が離れると同時に、シンジの首に回されていたレイの腕から力が抜ける。
「レイ???レイっ!!レイーーーーーーーーーっ!!!」
シンジの絶叫が、城内に響き渡った。
To be continued…….