エヴァンゲリオン戦記

Chapter 26: 嘘と我侭




北方同盟の盟主であるマヤ・ブリーズ・トゥル・ディオクレス公爵からの書状は、ネルフに大きな波紋を生んでいた。
レイの部屋で休んでいたシンジも父王からの使いに起され、真夜中だと言うのに王の執務室へ呼び出された。
「遅れて申し訳ありません、陛下」
このところシンジが毎晩のようにレイの寝室を訪れている事を知っていたゲンドウは、使いを直接レイの部屋へと行かせたのだが、部屋の中の状態に遠慮した侍女達が使者からの伝言を伝えるのをしばらくのあいだ遠慮した為、シンジは遅参するはめになってしまった。
執務室にはゲンドウの他にコウゾウ、ミサト、そしてディオクレス公国から来たリョウジがすでに居た。
「ふっ、出陣・・・」
入って来たシンジを一瞥したゲンドウは、一言そう言ったきり黙り込んだ。
まったく状況を説明する気の無いゲンドウに、一体どうしてこんな夜中に呼び出されたのかも知らないシンジはもちろんの事、シンジが来る前にある程度の説明を受けていたコウゾウとミサトも茫然とした。
「出陣?」
「殿下、実はゼーレがリリスに総攻撃を仕掛ける為に国境に兵力を集めていると言う情報が入って来たのです。これを放置しておくと、恐らくリリスは攻め滅ぼされてしまうでしょう。そうなればネルフは単独でゼーレと事を構えねばなりません。そうなる前にリリスを援護する必要があります」
まったく状況が飲み込めていないシンジが首を傾げると、あわててコウゾウが状況を説明し始めた。
「それともう一つ。ここに居りますリョウジ・カジが北方同盟の盟主であるディオクレス公爵からの書状を持ってまいりました。その書状には、共同作戦の誘いが書かれていたのです」
ミサトがコウゾウの後を引き継いだ。
「共同作戦?どう言う事だ?」
「現在、大陸の北端にはディオクレス公国をはじめ、ゼーレに敵対する数カ国が同盟を組んで抵抗を続けています。ゼーレにとって彼らの戦力は無視出来る規模では無いようで、国境に常時25万もの兵力を張り付けております。ディオクレス公爵は南からネルフに進軍してもらい、混乱に乗じて国境の敵に総攻撃をしかけたいと打診してきたのです」
「状況は分ったが、今それは不可能に近い。隣国のリリスが危ないのなら、我々はそちらを先に救わねばならないからな」
シンジが眉間に皺を寄せて言うと、今まで黙っていたリョウジが一歩進み出た。
「殿下、ディオクレス公爵殿下は今すぐにでは無くとも良いと申しておりました。とりあえずは共同作戦に乗っていただけるか否か、今回はその意志の確認と、これからの打ち合わせをしてこいとの仰せでしたので」
「なるほど。では陛下、今回の出陣はディオクレス公国との共同作戦のためでは無く、リリス救援の為の物ですね?」
ゲンドウはシンジの問いには答えず、口の端を二ヤリと持ち上げた。
それをシンジは肯定と受け取ったが、一つ大きな問題がある事に気付いて唸った。
「しかし殿下、出兵すると言っても、今のネルフには大兵力を動かすだけの資金も食料もありませんぞ」
ゼーレの手から国土を取り返したばかりのネルフは、今だ混乱状態にあった。
リツコやシンジが発案したいくつかの復興案はすでに実行に移され始めているとは言え、その効果が現れるにはまだまだ時間がかかる。
新たな農地の開墾や、都市間を結ぶ新たな道路の工事などは人手が足りずに多くの軍人や軍馬を使って行っている状態だ。
国民には食料が配給されているが、それすら満足な量とは言い難い。
唯一幸運だったのは、電光石火で首都を取り戻した為にゼーレ軍による田畑の焼き討ちや建造物の破壊が起きなかった事だ。すくなくとも家屋の建設や井戸の修復などはせずに済んでいるし、ぎりぎりとは言え当座の食料は確保できている。
このような状態での出兵は、貴重な労働力となっている兵士達を連れ去る事になるし、やっとの事で食べて行けている国民を餓えさせてしまうだろう。
「その事なのですが、なんとかなりそうです」
ミサトが言った。
「ミサト卿、卿も食料の備蓄がどれくらいか分っているはずだ。とても今すぐに出兵は出来ない」
「いえ、食料はゼーレで調達いたします」
「ゼーレで?まさか略奪しながら進軍するのか?そんな事をすれば極端に進軍速度が遅くなる上、ネルフ軍はゼーレと同じ犬畜生と呼ばれる事になるぞ」
「略奪する事は否定いたしませんが、相手は民草では無くゼーレ軍です。彼らが軍を集め、編成している場所から北に少し行った地点に、食料の集積場所があるようです。そこを押さえれば食料の確保が可能です」
「綱渡りのような作戦だな。もし確保に失敗したらどうする?」
「そこは私に任せていただけませんか、殿下。不肖ながら、このリョウジ・カジが道案内をさせて頂きます。既に集積場の場所と警備兵の配置などは調べてあります」
リョウジが一礼した。
だが、シンジとしては今日会ったばかりの人間を信用して数万人の将兵の命を賭ける事は出来ない。
「殿下、この男はふざけた顔をしていますが、諜報活動においてこの男の右に出る者はおりません。我が軍の誘導はしっかりとしてくれるでしょう」
無謀とも言える作戦を聞いて苦りきった顔をしたシンジを見てミサトがフォローするが、逆にシンジは首を傾げた。
「ミサト卿はこの男の事を良く知っているようだが、顔見知りなのか?」
「そ、それは・・・その・・・」
しまったと言う顔をしてミサトは言葉に詰まった。
「恐れながら殿下、私とミサト卿は誰よりもお互いの事を理解しております」
「ばっ!なっ!何を言ってるのアンタ!!」
二ヤリと笑ったリョウジがミサトの肩を抱き寄せると、ミサトが大声で抗議した。彼女の顔が赤くなっているのは、恐らく照れ臭いからではなく、怒りによってのものだろう。
必死に離れようとするが、リョウジはがっちりと肩を抱きしめて放さない。
「ごほん」
まるで恋人同士のようにいちゃついている二人を見かねたコウゾウが咳払いする。
「む、昔しばらく一緒に旅をしていた事がある『だけ』です」
ようやくリョウジを引き剥がす事に成功したミサトが、一部を強調して言った。
「なるほど。腕は良いとして、彼は信用出来る男か?」
シンジはリョウジがゼーレの間諜である可能性を考えていた。
出兵を決断させる情報の殆ど全てが彼によってもたらされた。ゼーレがネルフを誘い出す手段として彼を送り込んで来た可能性は大きい。
ちなみにリョウジの間諜としての腕が優れている事をシンジは既に知っていた。レイの部屋を出た所でマユミから報告を受けていたのだ。それにミサトと一緒に旅をしていたと言うのだから、それだけでかなりの腕である事は分る。お荷物になるような人間とミサトは旅などしないだろう。
「はい、彼は信用できます」
ミサトはシンジの目を真っ直ぐに見て答えた。
「分った。私はミサト卿を信じている。卿が信じるリョウジ卿を信じるとしよう」
頷いたシンジは父王の方へ向き直った。
「陛下、出陣するのはどれほどの数でございますか?」
「お前が連れて来たリリス兵一万、それとゼーレから亡命して来た一万、合わせて二万だ。ラングレーとか言う小娘と、リツコ卿の二人だけを連れて行け」
「そんな!たった二万でゼーレに攻め込むなんて・・・・。陛下、せめて私のシルバーファング隊を・・・」
大兵力を擁するゼーレ相手に、たった二万で立ち向かうのは自殺行為だ。
しかも送り出すのはネルフに亡命した外国人部隊。彼らが全滅したとしても、ネルフには何のダメージも無いのだ。むしろ、食い扶持が減って助かるかもしれない。そう考えての編成にしかミサトには思えなかった。
あまりの事に驚いたミサトを、シンジは手で制した。
「ではさっそく準備に取り掛かります」
一礼して部屋から出て行ったシンジを、ミサトが慌てて追いかけて行く。
自分が居る事をミサトが忘れ去っている事に苦笑したリョウジも、ゲンドウに一礼してシンジ達の後を追った。
「なに、彼はしっかりと理解してくれている。出て行く時の彼の目は澄んでいた」
コウゾウは少し下がったゲンドウの肩に手を置いて言った。
「・・・ふん」
隻腕の王は、鼻を鳴らして見当違いな気遣いだと抗議した。




「でね、殿下は何も言わずに出陣の準備してる訳なのよ」
リツコの部屋でミサトは愚痴っていた。どうしてもゲンドウの命令が理不尽に思えてならないのだ。
今回ミサトは留守番と言う事になったのだが、リツコはシンジと出陣するので、当然彼女も準備に追われている。
目的地までの距離とこちらの人数から必要な兵糧を計算し、地図に敵に補足されにくい進軍コースを書き込んで行く。
正直、ミサトの愚痴は適当に返事をしながら聞き流していた。
「私も出陣したいって陛下に頼んでみたんだけど、取り合ってもらえないのよ・・って聞いてるリツコ?」
「ええ、ちゃんと聞いているわよ」
そう言いながらも地図と睨めっこしているリツコを見て、ミサトは子供っぽく頬を膨らませた。
ふとミサトが視線を向けた先に、猫用のケージが置いてあった。
ケージにはカスパー、メルキオール、バルタザールの三匹が閉じ込められている。先ほどカスパーが地図の上を歩いて、見事な足跡をネルフからゼーレまでつけてくれたからだ。ちなみに地図の左上がふやけているのは、バルタザールがその上で昼寝をしていたからである。
「リツコは酷いとは思わないの?」
「貴方も分っているんでしょう、今回の布陣がネルフの絞り出せる全てだって」
「そりゃ・・・分ってるけど。やっぱり納得出来ないわよ・・」
ミサトはネルフが誇る優秀な武将である。だから今回ゲンドウが現在出せる最大の兵力をシンジに預けたと言うのもしっかりと理解している。
国民を餓えさせずに送り出せる兵力はどう頑張っても二万。それもゼーレまで片道分の食料で。
新たに登用した新兵達はまだ実戦に耐えられる状態には無く、虎の子のシルバーファング隊も数が激減してしまっている。錬度が高く、長期の遠征に耐えられる部隊はアスカが連れて来た一万の兵と、シンジの連れて来たシュトース・ヴィーントの一万のみ。
本来なら全滅の危険さえある遠征に、たった一人の世継ぎであるシンジが出るのは考えられない事ではあるが、彼でなければシュトース・ヴィーントは本来の力を出す事は出来ない。ミサトがシンジに代わって遠征軍を率いる事が検討されないのはその為だ。
ミサトにはもう一つ大きな役目がある。それはもしシンジが敗れた時の国防である。シンジだけがシュトース・ヴィーントの力を最大限に引き出せるのと同様に、シルバーファングの力を全て引き出せるのもミサトをおいて他に居ないのである。彼女はネルフに残り、補充兵を鍛え、シルバーファングの戦力回復に努める事でゼーレに対する守りを固めねばならないのだ。
シゲルとマコトの二人もここ数年で武将として大きく成長しているとは言え、やはり外人部隊を率いての遠征や、崩壊しかけの国軍の建て直しなどは荷が重い。
それに彼等も治安維持や新兵の訓練など忙殺されている状態だ。
長く続く戦いで、力のある武将が減ったのは大きな痛手だった。ネルフは指揮官不足にも喘いでいたのである。
それら全ての事情を理解していてなお、ミサトは納得出来ない。
国境の向こう側には、リリス遠征の為に集まったゼーレ軍がひしめいている。
死地とも言える場所に自分の主が飛び込んで行こうというのだから、自分も共にありたいと思ってしまう。もしくはせめてあと一万、いや五千でも多くの兵をシンジに連れて行ってもらいたい。彼には必ず帰って来て欲しいのだ。
だからリツコがシンジと一緒に居てくれるのは心強い。この猫好きの友人であれば、どんな苦境に陥ろうとも必ずシンジを連れ帰ってくれるだろう。
「私にまかせて、としか言いようが無いわ。心配でしょうけど、今回は我慢して」
リツコが気分転換にと紅茶の葉を捜していると、扉がノックされて男が入って来た。
「よ、リッちゃん」
昔と変わらぬ笑顔でリョウジが言った。
「あら、懐かしいわね」
リョウジの変わりない無精ひげの生えた顔を見て、リツコも微笑む。
「今ちょうど紅茶をいれようと思っていたの。適当に座って」
「それじゃお言葉に甘えて」
「ずうずうしいわねぇ」
自分の隣に腰掛けたリョウジを、ミサトはジト目で見据えた。
「毎日決まった時間に来て、さも当然のようにお茶を飲んで帰ってゆくミサトが言っても、あまり説得力が無いわよ」
「む・・・」
一本取られたとばかりに顔を赤くしてそっぽを向いたミサトに、リツコとリョウジは声を立てて笑った。
「リョウちゃんは今、ディオクレスに仕えてるのね。北方の方へ行ってるとは思わなかったわ。案外、ゼーレの方へ行ってるもしれないと思ってたけど」
リツコがカップに紅茶を注ぎながら言った。
彼女は言外に、リョウジがゼーレと繋がっているのでは無いかと自分は疑っているのだと彼に伝えている。
リツコはちらりとリョウジの顔を見てみるが、彼の表情からは何も窺い知る事は出来なかった。
もっとも、もし仮に彼がゼーレの密偵だったとしても、簡単に顔に出すような失態はしないだろうが。
リョウジも心得た物で、涼しい顔をして逆襲に出た。
「それを言うならリッちゃんこそ、ネルフに仕えているとはね」
三人で旅をしていた時に、彼女の過去については色々と聞いていた。ミサトが居るとは言え、ネルフ王家とは因縁のあるリツコがネルフに仕えているのは、リョウジにとって驚きだった。
「あら、私はネルフに仕えているつもりは無いわよ」
「え?」
これにはリョウジも、二人の話を黙って聞いていたミサトも驚いた。
「私はね、王太子殿下個人にお仕えしているのよ」
リツコは彼女にしては珍しく、二コリと柔らかく微笑んで見せた。
「初めて殿下とお会いした時、全身に鳥肌が立ったの。説明するのは難しいんだけど・・・そうねぇ、『風』みたいなのを感じたのよ。ああ、この人は何か成し遂げる人だって、そう感じたわ。それで隠遁生活にさよならしたの」
「いつも理論的に物事を考えて行動するリッちゃんにしては、思い切った事をしたもんだな」
「そうね、自分でもそう思うわ。ネルフ王家に対するわだかまりはまだあるし、前の生活に飽きていた訳でもなかった。でもね、全身に鳥肌が立って、自分の中の何かが彼について行けって言うの。ふふっ、人間の感情って本当にロジックじゃ無いわ」
「リツコぉ〜、なんかまるで殿下に恋しちゃってるような目をしてるわよぉ?」
遠い目をしはじめた親友に、ミサトが茶々を入れた。
だがミサトの期待とは裏腹にリツコは慌てて否定したりせず、逆にしばし考えた後、そうかもしれないとキッパリ言ってみせた。
「快感なのよ・・・。殿下は私の知識を貪欲に貪って行くの。そして自分の血肉に変えて、そこからまた新しい考え方を生み出して行く。そしてそういった新しい発想が歴史を動かそうとしてる。こんな快感、他には無いわ。この気持ちは他の人には理解してもらえないでしょうね。この気持ちが恋だって言うなら、間違いなく私は殿下に恋してるわ」
一息ついたリツコは、すこし濃い目の紅茶を啜った。
「どうしたの二人とも。せっかくの紅茶が冷めちゃうわよ」
リツコの話を呆然と聞いていたミサトとリョウジは、金縛りが解けたように紅茶に手を伸ばした。
この後は腹の探りあいのような会話も無く、三人は一緒に旅していた頃の思い出などを楽しく語り合った。




和気藹々とした軍師の部屋とは対照的に、王太子の私室には重い空気が漂っていた。
「どうか私も連れて行ってください」
「駄目だ」
王太子は妻の懇願を一言で切って捨てた。
いくら彼女が神剣「タナトス」の使い手だと言っても、危険な戦場へ連れて行く事など彼には考えられなかった。今回の遠征は敵地の奥深くへと進攻せねばならないのだ。
先ほどから彼が何度その危険性について諭そうとしても、妻は一向に聞き入れようとしない。
「心配しなくても、必ず帰って来るから」
なんとか宥めようと発した言葉は、レイの深い部分を締め付けたらしく、彼女ははらはらと涙を零し始めた。
「ま、前もそう・・仰って・・・っ・・・さん、三年も・・・っ・・」
返す言葉が無かったシンジは、無言でレイを抱きしめた。彼女の涙で胸が濡れて行くのを感じながら、彼女の髪を指でやさしく梳くようにして撫でる。
「もう、二度と離れ離れになりたくありません。殿下と離れるぐらいなら、いっそ敵の刃に倒れた方が余程ましです」
「分かってくれ。戦場に君を連れてゆけば、俺は常に君の事を心配しながら戦わなければならない。本来の力が出せなくなってしまうんだ」
それに、とシンジは続けた。
「君には大切な役目がある。君にはネルフに残って、俺の子を生んでもらいたい」
自分の言葉がレイにとってどれだけ残酷に聞こえたか知る由も無いシンジは、自分の腕の中で震えているレイの額に軽く口付けすると、右手を彼女の腹部へと伸ばした。
「そ、その・・・なんと言うか・・・あれだけ床を一緒にすれば・・今、身籠っているかもしれない・・だろ?」
さすがに恥ずかしくなったのか、シンジの顔が赤くなる。
「・・・・・・っ・・・・・」
だがしかし、彼の妻は無言で泣き続けるだけだった。
「レイ?」
自分と離れるのが辛くて泣いているのだと思い込んでいたシンジも、何かを堪えるように声を押し殺して泣く妻をおかしく思い、どうしたんだと問いかけるが、レイは無言で首を振り、シンジの背中に回した腕に力を込めるだけだった。
全てをぶちまけてしまいたい。そんな自棄的な衝動にレイは耐えていた。
貴方の子供を身籠る事は出来ないのだと、口に出してしまいたい。だが、口に出してしまえばこの温もりと引き離されてしまう。
優しい夫は、それでも自分を望んでくれるかもしれない。いや、きっと自分を望んでくれると信じている。
だが、夫の立場がそれを許してはくれないだろう。
だから・・・。
「殿下、一つお願いしたい事があります」
「ん?何?」
「側室を・・・お迎えください・・」
血を吐くような思いで、レイは言った。
「何を急に・・。それに、俺には君が・・」
「殿下がどれだけ私の事を大切に想ってくださっているか、重々承知しておりますし、それは私にとってこの上ない幸せなのですが、今は戦乱の世でございます。出来るだけ多くの御子を残す事が、国家の安定に繋がります」
ネルフは新興国家であり、シンジでまだ三代目である。
国を興したサイアナイドは極東出身の妻を娶っていたが、その妻はゲンドウを産んでから数年後に他界し、サイアナイド自身もそれから数年後にキールの手によって討たれた。
二代目の国王であるゲンドウは、正式に結婚はしなかったものの、ユイと言う一人の女性を想い続け、正妃も側室も迎えずに現在に至っている。
つまり、この国の王族は側室を迎えた例が無い。
そのような事情があり、側室を迎える事などシンジの頭に無かったのである。
だから正妃であるレイの口から側室を迎えてくれと言われ、二重の意味でシンジは驚き、困惑した。
「レイ、君は自分が何を言ってるのか、分かってるのか?」
「分かっております」
「俺に君以外の女を抱けと、そう言ってるんだぞ」
「それも・・・・分かっております」
「君は平気なのか!?」
思わずシンジの語気が荒くなる。
彼には妻の考えている事が全く分からなかった。周囲が側室を取るべきだと勧めるならまだ分かるが、まさか妻からそのような事を聞かされるとは。
「平気ではありません!! 想像するだけで、胸が張り裂けそうです」
「なら、何故!?」
「・・・・お国の為でございます」
嘘つきと、レイは胸の奥で吐きすてた。国の為などでは無く、自分の為だ。その為にシンジを心まで傷つけている。彼女は心の中で自分を責めたてた。
悲しんでいるシンジの顔を見て、また涙腺が緩む。
「国の・・・・ため・・・」
確かに、子孫を残して国家を安定させるのは専制君主制国家の王族の義務だ。
この大陸に無数に存在する、またはしていた王家では、国王やその世継ぎが多くの側室を迎え入れ、出来るだけ多く子孫を残そうとしている。逆に言えば、たった一人の妻しか持っていないシンジの方が少数派に属しているのだ。
好色家で知られるキールなどは無数の女性を囲っているし、シンジの親友であるカヲルにしても、いつか出来るだけ強力な後ろ盾を持った正妃を迎え入れる為に結婚はしていないものの、結婚すれば必ず何人かは側室を迎え入れるだろう。
そう考えれば、シンジが側室を迎えるのはなんら問題は無く、むしろ子を多くなそうとするなら、迎え入れるべきなのだ。
王族にとっては結婚とは政略婚であって、シンジとレイのようにお互いを想い合っている夫婦はそれほど多くは無い。
だが彼らは強く想い合っている。想い合っているからこそ、シンジはレイからそんな事を聞きたくなかった。
「ですから、どうか何人か側室を迎え入れください」
目に涙を浮かべながら言うレイを見て、シンジは苛立ちを覚えた。
それは裏切られたと言う気持ちからか、自分の想いと自分の責任のジレンマからか、それとも別の何かなのか、彼自身にも分からない。
「ただ、側室は私が選ぶ事をお許しください」
「・・・・・・分かった・・・好きにしてくれ」
一つ大きなため息をついたシンジは、その件については今回の遠征が終わってからまた話そうと言って部屋から出て行った。
部屋に残されたレイは、よろよろと椅子に腰掛けると、深く息を吸って気持ちを落ち着けた。
彼女がこれからシンジと共に歩んで行く為には、やらなければならない事が山積している。
まず、適当な女性を見繕わなければならない。
国政に口出ししてくるような後ろ盾を持った女性は避けねばならない。その女性が産んだ子が、次の国王になるなら尚更である。
レイとしては、やはりシンジの事を彼女と同じように第一に考えてくれる女性を選びたいと思っている。そうなって来ると、やはりシンジの事を良く知っていて、ある程度シンジに対して好意を抱いている女性を選ぶのが良いだろう。
地方から城へ働きに出てきている侍女や、力を全く持たない没落貴族の令嬢の中から、シンジに純粋な思慕の念を抱いている女性を探し出すのがベストだ。
どちらにしても、側室選びには少し時間がかかりそうだ。
立ち上がったレイは、自分の部屋へと戻って行った。
側室選びはさておき、彼女は自分の『留守中』に子供たちの面倒を見てくれる人間を探さねばならない。
アリシアとセトは全く問題無いのだが、残りの腕白二人組みを監視しておくのは、並大抵の人間には無理である。
侍女として優秀で、かつあの二人に教育的指導が可能な人間。
ふと一人の女性の姿が頭に浮かんだレイは、早速その女性に会う事にした。




「殿下」
厳しい顔で城内を歩いていたシンジの後ろから声がする。。
「何か分かったか?」
そのまま歩きながら答えたシンジの斜め後ろに、薬箱を抱えたマユミが寄り添った。
「いえ、やはりあのリョウジと言う男、たしかに今はディオクレスに仕えているようです。過去も洗ってはみましたけど、軍師様とミサト卿の三人でしばらく旅をしていたと言う以外、これといって特別なものは出てきませんでした。おかしな行動もありません。」
「ではヤツの情報は信用出来る・・・か」
「私はずいぶん前にネルフに来たので、今どうなっているのかは分かりませんけど、確かにあの男が指し示した場所には小さな集落があります。そこを食料の集積場にする事は十分考えられる事です」
「そうか」
実のところ、シンジはリョウジと言う男をまだ信用していなかった。
それでマユミに探らせていたのだが、どうやら叩いても埃は出てこなかったようだ。ディオクレス公爵からの書状も筆跡から本物だと断定されている。
ネルフとしては、彼の情報を頼りに戦いを進めるしか無いのだが、万単位の将兵の命とこれからの国の命運が掛かっている以上、慎重にならざるを得ない。
「あ、あの・・・・」
「なんだ?」
「え・・あ・・い、いえ、何でもありません」
言葉を飲み込んだマユミへチラリと肩越しの視線を送り、シンジは苦笑した。
「今日はみんな様子がおかしいな」
レイは突飛な事を言い出すし、マユミも何かそわそわしている。
「そうだ、一つ頼んでおきたい事がある」
前に向き直ったシンジが言った。
「俺が留守中のレイの警護を頼む」
マユミが俯き気味だった顔を勢い良く上げる。
「わ、私は連れて行ってもらえないのですか?」
「ああ、今回はネルフに残ってくれ」
「そんな・・・」
「ネルフの諜報機関はまだ駆け出したばかりで、これからが一番大切な時だ。君にはネルフに残って出来る限り早く組織を完成させてもらいたい」
「それでは私が殿下をお守りする事が出来ません。それに・・・それに殿下は私の気持ちを承知の上、妃殿下を警護しろと?」
何度レイさえ居なければと思った事かとマユミは心情を吐露した。
「すまない。王族を暗殺して国内を揺さぶろうとする人間がいるかもしれない。こういった『裏』の戦いで頼れるのは、君しかいないんだ」
「そんな言い方・・・・・卑怯です」
ため息混じりに分かりましたと答えたマユミは、シンジの背中に一礼して去っていった。




翌日、シンジが率いる二万の軍勢はゼーレへと進軍を開始した。
シンジ直属の一万のシュトース・ヴィーントと、アスカの配下の一万の騎兵である。
出陣する王太子の傍らには軍師であるリツコが馬を並べ、その後ろにはキースとウェインが続く。
この日の出陣を一番喜んでいたのは、他ならぬラングレー騎士団の者たちだった。
首都開放戦より彼らはゼーレ攻めを今か今かと待ち続けていたのだ。
当然、士気は高く、彼らの表情は生き生きとしていた。
ゼーレへの出兵が決まった日、シンジ自らラングレー騎士団の長であるアスカにその事を伝えに行った。
「望むところよ。みんな、キールに一泡ふかせたくてウズウズしてたところよ」
そう言って舌なめずりしたアスカは、さっそく武具の手入れを始めた。
「そう言えば、このごろ奥さんと上手く行ってるようね」
「ああ、おかげさまで」
「じゃあ奥さん、私が一緒に行く事を心配してなかった?」
「は?」
シンジが首を傾げると、アスカはニタリと邪悪な笑みを浮かべた。
「私みたいな美人がずっと一緒に居るのよ、何か間違いがあるかもしれないでしょう?」
「それはナイ、ナイ」
「なんかすっっっっっごいムカつくんですけど」
即答したシンジを見て頬をヒクつかせた。
「それにしてもアンタの周りって、良い女が揃ってるわよね」
アスカは指を折って数え始めた。
「奥さんでしょ、ミサトでしょ、軍師さんでしょ、私でしょ・・・そうそう、最近なんか薬師の娘とすごく仲良くない?奥さんに言いつけたげようか?くふふ・・」
その後、小一時間ほどアスカから苛められたシンジは、疲れ切って彼女の部屋から脱出したのだが、それを侍女の一人に目撃されていた事には気づかなかった。
この後、侍女達の間ではシンジがゼーレから亡命して来た女騎士の部屋へ通っているという噂が流れ出したのだが、当人たちは知る由もない。
とにもかくにも、ラングレー騎士団の士気が高いのはシンジにとってありがたい事だった。
シュトース・ヴィーントも一致団結しており、この二万の軍勢は間違いなく今のネルフにとって切り札といえる戦力だ。
「絶対、生きて凱旋してみせる」
シンジは馬上で、紫の甲冑で覆われた右手を握り締めた。
彼にとって今回の戦いは生き残る事も大切なのだが、必ず勝利を収めねばならない戦いでもある。
ネルフにおいて、シンジの人気はそれほど高くは無い。外国人であるレイの方が国民に人気があるのだ。
この戦いでシンジが王に相応しい男だと国民に知らしめる必要がある。
そうせねば、必ず国政に支障が出てくる場合があるだろう。
絶望的な戦いに勝利し、凱旋する。
ハードルは高いが、これは王太子にとって避けては通れぬ試練であった。
ふと別れ際の妻の顔をシンジは思い出した。
昨日のように大泣きされると思っていたのだが、予想は外れてレイは涙を見せる事はなかった。
「御武運を」
そう言って逆に微笑んだくらいだ。
そんな妻の様子に釈然としないものを感じたシンジだったが、レイに何かあったのであればマユミが知らせてくれるはずだと思い直し、こうして馬上の人となっている。
チビたち四人も見送ってくれたのだが、ローザに自分も連れて行けとせがまれた時は困り果ててしまった。
ふと視線を前へ向けると、斥候の騎士二人が本隊に先駆けて北上して行くのが見える。
だがシンジの心は彼らの姿を飛び越し、はるか彼方のコキュートスへと向けられていた。




ネルフとゼーレの国境、一人の男がゼーレへと渡ろうとしている。
男の名はレオン。
王太子暗殺に失敗し、もはやネルフに残って権力を握る事は無理だと判断した彼は、全財産を売り払い、ゼーレへ亡命しようとしていた。
「くそ!俺はまだ終わってない!」
立ち止まったレオンは、彼が歩いてきた方向へ振り返った。
「いつか戻って来て、すべて手に入れてやる!」
目の前に広がる祖国へと手を伸ばしたレオンは、まるで景色を掴み取ろうとするように、手を握り締めた。






To be continued






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