ゾクリ・・・・
敵国ゼーレへと進軍中のシンジの背筋に、冷たい戦慄が走った。
背中に汗が滲み出る。
「どうしたの?」
進路を確認するため、身を寄せ合うようにして同じ地図を覗き込んでいたアスカが心配そうな目を向けて来た。
「いや、何でもない」
首を傾げつつ、後ろのシュトース・ヴィントの方へ目を向けると、シンジから少し離れた場所で素早く顔を背ける騎士が二人。
そのずっと手前では、こちらも何故か不自然な笑みを浮かべるキースとウェインが居た。
彼ら二人の額には、何故か汗が浮いていた。
エヴァンゲリオン戦記
Chapter 27: 視線
ジオフロントをシンジ達が出発して二日。
全員が騎兵であり、しかも食料を最低限しか運んでいない事もあって、彼らはすでに国境を越えていた。
野営地に張られた簡易テントの一つへ、なにやらコソコソと入って行く影が二つ。
シンジの子飼いの武将、キースとウェインである。
テントに入った二人は、椅子に腰掛けていた女性の前に跪いた。
「殿下はまったく気づいておられません。ご安心を」
「くっくっく、呑気に『いまごろ寂しがって泣いてなどいないだろうか?』とか言ってましたぜぇ」
主の口真似をしてみせたウェインを見て、女性は声を押し殺して笑った。
「貴方達の協力がなければ、すぐに露見して追い戻されていたでしょう。二人には感謝しています」
「いえ、とんでもございません」
ウェインは恐縮して、大きな体を縮ませた。
「貴女様は、もともと私たちが仕えるべき王家の御人。そして今の主の奥方様なのですから、何なりとお申し付けください」
キースは胸に手を当て、優雅に一礼して見せた。
「しかし私を匿う事で、貴方達に迷惑が掛からないか心配です」
「いや、まあ、その・・・・バレたらバレた時です」
こりゃ殺されるなと心で泣きつつ、キースは引きつった笑いを浮かべる。
「ではまた報告にまいりますので、決して目立った行動などなさらないようにお願いします」
一礼すると、二人はまたコソコソとテントから出て行った。
それを見送った女性は、背後に控えていたもう一人の女性へと向き直った。
「やはり殿下はお怒りになるかしら、マユミ?」
ネルフ王太子妃は不安げな顔をして尋ねる。
「まず間違いなく、疑いの余地なしにお怒りになるでしょうね」
黒装束ではなく、シュトース・ヴィントの甲冑を着込んだマユミが、ため息をつきながら恋敵に答えた。
薬師として働き始めたマユミが王太子妃からの呼び出しを受けたのは、シンジがゼーレへと進軍を開始する前日の夜だった。
レイが瀕死の状態から回復した後も、マユミはレイの治療を続け、体に残った毒を出来る限り中和して来た。
あれから二ヶ月以上たっている今、彼女がレイに薬を処方する回数も減り、レイも普段通りの生活に戻れていたのだが、突然の呼び出しとあって、具合が悪くなったのかと考えたマユミは急いでレイの私室へ訪れた。
ところが彼女を呼んだ王太子妃はピンピンしており、マユミは彼女から思わぬお願いをされる事になった。
「子守・・・で、ございますか?」
「ええ、貴方を見込んでお願いしたいの」
レイは薬箱を抱えたマユミに、にこりと笑って見せた。
実は以前、レイの部屋で悪戯していたレビアとローザの二人を、ちょうど薬の処方に訪れていたマユミが叱り飛ばした事がある。
保護者のレイに遠慮してしまい、侍女たちはめったにレビア達を叱るような事は無い。
レイにとって命の恩人とも言えるマユミだったが、この事がきっかけでレイは更にマユミの事が好きになった。
彼女であれば自分の留守中もあの問題児二人をなんとか出来るであろうと考え、こうやって子守を頼む事になったのである。
「あの・・・妃殿下は、どこかへお出かけになられるのですか?」
「ええ、しばらく城を留守にするの」
王太子が戦地へ行って留守になると言うのに、レイが何処かへ出かけると言うのは非常に不自然である。
マユミは首を傾げた。
「失礼ですが、どちらへ?」
「そ・・・それは・・・・」
困った顔を見せたレイだったが、しばらく考え込んだ後、思い切って自分はシンジに内緒で付いて行くつもりだと打ち明けた。
「すでに殿下の部下二人の協力を取り付けてあります」
これは大変な事になったとマユミは思った。
シンジに報告しようにも、そんな事をすれば彼女とシンジとの繋がりがレイにばれてしまう。
「この事は殿下には内密に」
唇に人差し指を当てて見せるレイに、マユミは頭を抱えたくなった。
黙ってレイを行かせる事も出来るが、そうするとレイを護ると言う自分の任務が果たせなくなってしまう。
いっそ自分もシンジに黙って付いて行けば良いのでは?そうすれば、レイを護る事は可能だ。
シンジからの命令は二つ。レイを護る事、そして諜報組織の充実を図ること。
しかし、組織の充実はマユミの頑張りもあってかなり進んでいた。
どちらかと言うと、シンジにとってはレイの安全が一番大切で、組織云々はマユミを納得させる為に考えた後付けの理由だと思える。
そしてなにより彼女自身、シンジについて行きたいと言う気持ちが大きかった。
しばらく思案した後、マユミは決断した。
「レイ様、私も一緒に付いて行きます」
「え?」
「レイ様のお体は、まだ本調子ではありません。もしもの時、私が薬を処方いたしますので、私も一緒に連れて行ってください」
頭を下げたマユミに、今度はレイが焦り出した。
「でも、それでは貴女が危険です」
「ご安心ください妃殿下。こう見えても多少は剣術の心得がありますので、自分の身一つくらいは、自分で守ってみせます」
駄目だと言うなら殿下に言いつけますよとマユミに脅され、結局レイはマユミを同行させる事を了承した。
そして出陣の日、シンジを見送ってから急いで用意してあったシュトース・ヴィントの鎧を着た二人は、キースとウェインの手引きでまんまと潜り込む事に成功したのだった。
彼女たち二人の留守中、レビアとローザが悪逆非道の限りを尽くし、ついには面倒を見ていた侍女が過労で倒れる事になったのは余談である。
ゼーレとリリスの国境から少し北上した付近には、ゼーレの軍勢が続々と集結していた。
その数、すでに20万近くになっている。
だが、兵は集まれども、その編成作業は遅々として進んでいなかった。
これにはいくつか原因があるのだが、やはり一番の理由はその数である。20万の人間を集めるのだけで、2週間以上もの時間がかかってしまった。
四人の将軍達がそれぞれ配下の軍団を引き連れ、国境に集結。
言うのは容易いが、兵士の数が多くなればなるほど、それに反比例して移動速度は遅くなって行く。二日ほど前、国境から最も離れた場所で反乱の鎮圧に当っていたガギエルの軍団がようやく到着した。
現在は遅れてやってきたガギエルの兵士を休めている状態であり、他の軍団は食料や武器などを馬車に積んだり、軍団内の再編成などを行いつつ、リリス侵攻への準備を進めていた。
慌しく動き回る兵士たちの耳に、美しい笛の音が届く。
濃い緑色の髪に、エメラルドグリーンの瞳を持つゼーレの武将、イスラフェルが一本の木によりかかって笛を吹いていた。
およそ戦場に似つかわしくない優しいメロディーを奏で終えた彼は、横笛から口を離すと微笑した。
いつの間にか近づいていた巨漢が、その大きな手で拍手を始めたからだ。
「素晴らしい演奏でしたぞ、イスラフェル卿」
「ふ・・・誰かさんの到着が遅かったので、いささか暇を持て余していてね。練習の時間だけは事欠かなかったんですよ」
「ははは、面目ない。反乱軍を潰すのに手間取ってしまいましたゆえ」
「ではさっさと準備を終わらせてください。僕はさっさとリリスを潰して、王都に戻りたいんですよ」
イスラフェルは血生臭い戦場が嫌いであった。もちろん一軍の率いる将軍として平均以上の才能を持ち合わせているし、武人として戦う事は望む所ではあるのだが、戦場に漂う血の香りは、否応無しに彼のトラウマを思い起こさせる。
さっさとリリスを潰して、王都でのんびりしたい。
どうしようもない焦燥感だけが募って行くのだ。
「私の軍団はあと三日ほどで出られるようになる。もうしばしの辛抱ですぞ」
私も早く家族に会いたいと言ってガギエルは笑った。
この体の大きな武将には二人の子が居る。妻には先立たれたと言っていた事をイスラフェルは思い出した。
「なら良いんですけどねぇ」
ガギエルの準備が出来てすぐに侵攻、と言う事にはならないだろうとイスラフェルは思っていた。
何故なら、今回の遠征の総指揮を任されているアラエルに全くと言って良いほどやる気が無いからだ。
もともと首都を離れる事の少なかったアラエルと彼の軍は、面倒を押し付けられたとばかりにひどく消極的で、いまだに侵攻の為の準備を始めていない。
それどころか、近くの村から若い娘を攫って来ては手篭めにして楽しんでいる始末だ。
そんな彼が指揮官に任命された理由は、彼が戦よりも王の機嫌取りの才能に恵まれていたからに他ならない。
美しい女性を王の寝所へと送り込み、高価な贈り物を絶えず献上し続ける。
こうやって王都で『王のお気に入り』となった彼は、大した戦の経験も無しに遠征の指揮官としてこの地にいる。
当の本人はリリス軍を潰す事などいつでも可能だと考えているので、今回の侵攻も半ば物見遊山のように考えている節があった。
「アレでは居ない方がまだマシだ」
集結した四将軍の一人であるマトリエルも、アラエルの怠惰には業を煮やしており、昨夜もイスラフェルと酒を飲みながら、彼にしては珍しくこう言って愚痴をこぼしていた。
アラエルは前線に立つ事が少なかった為か、敵を過小評価する事が多い。今回も20万の大軍をもってすればリリス攻略など簡単な物だと思っているのだろう。
「さて、いつまでもこうやってボーっとしていても始まらないので、さっさと今後の打ち合わせでもしましょう」
寄りかかっていた木から身を起こしたイスラフェルは、ガギエルと共にマトリエルの天幕に向かった。
指揮官にやる気が無いのでなければ、自分たちが頑張れば良い。
そうすれば、血の匂いを嗅がなくても良い場所へ早く帰れる。
最悪、自分たち三人だけで出発しても良い。
イスラフェルは、女性の悲鳴が外まで漏れて出ている天幕の方へ侮蔑の視線を送った。
一方、ゼーレへ侵攻したネルフ軍は、リョウジの案内で見事に食料の集積場の制圧に成功していた。
まさか国内で襲われるとは思ってもみなかった守備隊は、あっと言う間に壊滅。
この襲撃によってネルフ軍の存在がゼーレ側に知られるはずなので、これからすぐに国境に向かい、終結したゼーレ軍に奇襲をかけねばならない。
ネルフから運んで来た空の荷台に食料を急ピッチで積み込みながら、シンジはアスカとリツコを呼んで今後の事を確認していた。
「なんとか飢える前に食料の調達に成功した訳だが・・・残りの食料はどうする?」
ネルフ軍の荷台を満杯にしてなお、山のように残された食料の山を見て、シンジが言った。
ゼーレがリリス攻略にどれだけの期間を想定しているのかは分からないが、20万人分の食料となると膨大な量になる。とても彼らの10分の1程度の人数のネルフ軍では消化できない量だ。
「もちろん焼きます。これで間接的にゼーレ軍のリリス侵攻を遅らせる事が出来ますので」
シンジに立った軍師がさらりと言ってのけた。
「ただ、今すぐ焼くと煙で我々が発見される危険があるので、何名かをここに残し、奇襲をかけた後に放火させましょう」
「しかし軍師殿、いささかもったいない気もするのですが・・」
アスカが積み上げられた食料の中から、干し肉を一切れ取り上げる。
これだけの食料があれば幾つの冬を越せるだろうかと、今はもう居ない自分の領民達を思った。
今もゼーレの何処かで、強盗紛いの徴発で泣いている国民がいるのだろう。
出来れば残った食料をそれらの人々に分け与えたいが、それは無理な話である。
「勝つためよ」
冷たく言ったリツコは、地図を開いてみせた。
「敵が集結しているのはここ。今現在の位置がここ。事前に打ち合わせていた通り、我々は奇襲をかけ、敵が態勢を整える前に北へ離脱します。いいですね?」
「その後は首都に向かうように見せかけ、またネルフに戻る・・・だな?」
「はい。非常に困難な戦いですが、今のタイミングでないと正面から戦うのは無理でしょう。ゼーレ軍側の準備が整えば、いくらこちらが選りすぐりの精鋭だと言っても、20万と2万では勝負になりませんから」
どうしても兵力差をひっくりかえすだけの良案が浮かばなかった自分の不甲斐なさを恥じつつ、リツコは作戦の細かな段取りを説明してゆく。
細部まで一つ一つ確認し合い、不明な点を無くして置く。今回は得にシュートース・ヴィントとラングレー騎士団の連携が非常に大切になって来るので、シンジとアスカは地図を覗き込んで具体的な兵の動かし方まで打ち合わせを行った。
ゼーレ軍の配置はすでに斥候が調べてあるので、地図には何処にどのような部隊が居るのかビッシリと書き込まれている。
その地図をアスカが手に取り、シンジに自軍の進路を指し示そうとした。
「痛っ!」
地図を掴んだ指に鋭い痛みが走って、彼女は地図を取り落とした。
見てみると、ジワリと血が滲み始めている。恐らく地図の端で切ってしまったのだろう。
それを見ていたシンジが、自然な動作でアスカの手を掴むと、躊躇いなく彼女の指を口に含んだ。
「なっ!!ちょ・・・ばっ・・・っ!!」
驚いたアスカが真っ赤になって口をパクパクさせるが、シンジは口の中で傷口を舐め上げ、懐から出した綺麗な布に彼女の指を包んだ。
「これで良い。後でしっかりと傷薬を塗っておけよ」
隣でリツコも唖然としていると言うのに、シンジは平然として言った。
「あ、あ、あ・・」
あんたはバカかと怒鳴りかけたアスカだったが、リツコが居る事を思い出し、持てる精神力すべてをつぎ込んで言葉を飲み込む。
「これぐらいの傷、大丈夫よ」
「小さな傷だからと言って馬鹿にしていると、化膿して大変な事になる。体力が無くなった人間から死んで行くって事は、アスカも分かってるはずだ。君を失う訳にはいかない。自己管理はしっかりしてくれ」
シンジは握ったままの手に、グッと力を込めた。
あまりに真剣なシンジの眼差しに、アスカの顔が一層赤くなる。
「わ、分かりましたから手を放して下さい・・・・」
「あ・・・と、そうか、すまない」
「・・・・・そ、その・・・ありがと」
自由になった手をもう一方の手で抱きしめるようにしながら、アスカがボソリと礼を言った。
そこでやっと自分が大それた事をしたと思い至ったシンジの顔も赤くなる。
「いや、俺も少し無神経だった・・・・・ひうっ!!!」
今頃照れ始めたシンジだったが、突然ビクリと体を強張らせ、奇声を上げた。
「な、何?」
「いや、また妙な悪寒が・・・」
ブルっと体を震わせ、辺りを見回してみるが、彼の周りには普段通りの面子しか居ない。
「お体の調子が悪いのですか?」
心配した軍師が近寄って来て、シンジの額に手を当てた。
「熱は無いようですね。しかし一度軍医に診ていただきましょう」
「い、いや、大丈夫だ。問題ない」
「しかしこれから決戦と言う時に、万一の事があっては」
ぐぐっと近寄ってくる軍師にシンジがタジタジになっていると、また悪寒が襲ってきた。
もはや殺気とも思えるプレッシャーを感じ、シンジの剣士としての部分が無意識にプレッシャーの出所へ視線を向けた。
「「な、なんでしょうか?」」
王太子に睨まれる形となったキースとウェインが、引きつった笑いを浮かべた。
彼らは冷や汗を浮かべつつ、背後の二人が見えないように直立不動の体勢を取っている。
「オマエ達か?」
「「な、何の事でしょうか?」」
「いきなり殺気を向けてくるとは、一体どう言うつもりだ?」
「「いえ、滅相もありません!!」」
腹心二人に殺気を向けられて困惑したシンジだったが、一刻も早く軍を動かさねばならない事を思い出し、まだ心配そうにしている軍師を宥めて出発の準備を再開した。
「か、勘弁してくださいよ、姫さま」
滝のような冷や汗を浮かべたウェインが、後ろのレイに向き直って懇願した。
「駄目かと思った・・・」
キースに至っては、腰が抜けたのかその場にストンと座り込んだ。
「ごめんなさい。つい・・・」
しょんぼりと肩を落したレイを見て、二人は大きなため息をついた。
「しかし、なんで薬師殿まで・・・」
「わ、私は別に」
マユミはそっぽを向いてしまった。
こうして小さな問題はあったものの、ネルフ軍は食料の確保に成功し、再び進軍を開始したのだった。
ネルフ王太子の知恵袋である軍師リツコ。
彼女は現在ネルフ軍が進軍している場所を『軽地』と呼んだ。
彼女の言う『軽地』とは、敵地に侵入しても、まだ深入りしていない場所の事だ。
この軽地では、素早い行動が必要だと彼女は言う。
何故なら、軽地は自国に近い位置にあるため、兵が浮き足立つからだ。誰とて、逃げ帰る場所があるなら、そこへ逃げ込みたいと考えてしまうものだ。
このような場所で戦えば、不利な状況に陥った時に軍が瓦解する速度が非常に速まってしまう。それゆえ、リツコはネルフ軍の進軍を急がせた。
奥地まで踏み込んでしまえば、軍は結束する。もちろん、シュトース・ヴィントとラングレー騎士団の結束は固いが、やはり個人レベルでの覚悟がより一層固くなるのだ。
リツコは出陣時に兵に対して今回の遠征の最終目的を告げていない。ただ、集結しつつあるゼーレの大軍と戦うとだけ告げてある。こうして兵士たちに自分たちがのっぴきならない状況にあると錯覚させ、決死の覚悟で戦わせようとしていた。
こうして更に敵地奥深くへ侵攻したネルフ軍は、夕方近くになってゼーレ軍を補足し、これに奇襲をかけた。
打ち合わせ通り、ゼーレ軍のもっとも雑然としている場所を目指し、ネルフ軍が突撃してゆく。
その雑然とした場所とはつまり、アラエルの軍であった。
「何事だ!」
毛布を跳ね除け、局部を丸出しにしたまま天幕の外へ飛び出したアラエルは、怒濤のように押し寄せるネルフ軍を見て腰を抜かした。リリスへ侵攻した後ならばいざ知らず、まさか自国内で敵襲があるとは思ってもいなかったのだ。
急いで天幕に駆け戻り、衣服と鎧を着用しようとするのだが、時すでに遅し。ラングレー騎士団が放った弓矢が、次々と天幕の天井を突き抜けて降り注いで来た。
「うわ、うわーーーっ!!」
慌てて床に這いつくばる。
すると降って来た矢の一本が、運悪く突き出ていた丸出しの尻に突き刺さった。
「ひっ!!ぎゃーーーーーーーーーっ!!」
指示を仰ごうと、矢が降り注ぐ中を勇敢にも走り抜けてきたアラエルの副官が天幕の中で目にしたのは、血だらけになった臀部を押さえて転げ回る上官の姿であった。
そうこうしている内にネルフ軍は敵陣に踊り込み、右に左にゼーレ兵を蹴散らし始めた。
もとより雑然と配置されていたアラエルの軍は、将軍からの指示も受けられずに大混乱に陥った。ろくな装備も持たずに抵抗を試みる兵士も居たが、ネルフ軍の勢いを止められるはずもない。
最初の突撃でランスを失ったシンジは、腰に下げた剣を引き抜いた。
現れたのは、刃の部分が紫色に透き通って見える神剣『エクセリオン』。出陣前、父王から譲り受けたエヴァンゲリオンである。
「これは初代国王・・・つまりお前の祖父の持ち物だったエヴァンゲリオンだ。私はエヴァの力を完全には引き出せなんだが、お前ならば完璧に使いこなせよう」
父王はそう言って剣を手渡すと、激励の言葉もかけずに背を向けて歩き去ってしまった。
今にして思えば、アレは不器用と言われる父王なりの激励ではなかったのか。
落日の光を反射させる美しい剣を振り上げ、シンジは口元を緩めた。
逃げ惑う敵兵を切り倒し、馬蹄で踏み潰し、敵陣深くへと進んで行く。先頭に立って進むシンジの左右にはキースとウェインが並び、同じく敵を蹂躙してゆく。
少し離れた場所で、火柱が上がるのが見えた。アスカがエヴァンゲリオンによる攻撃を行ったのだ。エヴァンゲリオンの威力を見せ付けられたゼーレ兵達が、恐慌状態に陥って逃げ惑う。
上手く敵軍の一番柔らかな部分に突入出来た事に満足しつつ、シンジは戦場全体の動きに神経を尖らせていた。引き際をしっかりと見極めないと、包囲殲滅される危険性があるからだ。奇襲に成功したとは言え、相手は20万の大軍である。一部分を叩くのに夢中になっていれば、態勢を整えた他の軍団に囲まれてしまうのは目に見えていた。
一撃加えてから素早く優雅に離脱する。それがリツコの作戦だ。
ある程度の損害を与えて北に向かえば、ゼーレ遠征軍の退路を脅かす事になり、それだけでリリス侵攻を阻止出来る。
足の遅い補給部隊は既に戦場の北へ向かっており、後で合流する手筈になっていた。
合流してからある程度北進した後、進路を南東へ向け、そのままネルフへと引き返す予定だ。
逃げ惑う敵兵の中、勇敢にも剣を取って立ち向かって来た敵兵を切り捨て、そろそろ頃合いだと離脱する方向を探していたシンジの目に、こちらへ向かってくる騎兵の集団が映った。
千人程度の規模だが、統制のとれた動きからして良く訓練された兵だと言うのが分かる。そしてその中でも一番目につくのが、戦闘で馬を走らせる男だ。
変わった形をした鎧で巨躯を包み、ハルベルトをまるで小枝のように振り回している。
ハルベルトは槍と斧を組み合わせたような形をした武器で、その切っ先は30センチほどの斧とその反対側に突起部、そして先端に向かっての鋭い槍からなっている。この形状により、「切る」「突く」「鉤爪で引っかける」「鉤爪で叩く」の4つの使い方が可能だ。
その形状ゆえ、普通の槍よりはるかに重量があるのだが、その男は難なく片手で扱っていた。
「厄介だな」
シンジは迫り来る騎兵集団を見て言った。
千程度の敵なら粉砕する事も可能だが、今は時間が無い。敵が既に奇襲の衝撃から立ち直りつつあるのをシンジは感じていた。
チラリと視線を移すと、ラングレー騎士団が既に離脱行動を始めているのが見える。
「よし、転進して戦場から離脱する!」
近づいてくる敵集団を無視し、シンジは進路を北へ取った。先頭で馬を進める彼に従い、後ろに続く騎士達も転進する。
だが、思ったより敵集団の速度が速く、戦場から離脱する前に捕捉されてしまいそうだ。
「殿下、ここはあっしに任せてください」
シンジに馬を寄せたウェインが言った。離脱するシュトース・ヴィントの殿(しんがり)を買って出たのだ・
「許す。百騎ほど連れてゆけ」
「ありがてぇ」
嬉しそうに笑ったウェインは、手に唾を吐きかけ、彼のハルベルトを軽くしごいた。
同じ武器を使う人間として、どうしてもあの巨漢が気になるようだ。
速度を落した彼と百騎あまりの騎士は、後ろから迫り来る敵襲団から味方を護るようにして最後尾へと下がって言った。
「死ぬなよ、相棒」
キースが隣で呟いているのがシンジの耳に入った。
何度もウェインと手合わせしているシンジは、彼の強さを良く知っている。ウェインは簡単にやられてしまうような男ではない。キースとてそれは分かっているだろうが、やはり親友の事が心配なのだろう。
そうこうしている内に、ネルフ軍はゼーレ軍宿営地の北側へ抜け出していた。
振り返ると、野営地のあちこちから煙がいくつも上がっており、赤く燃え上がる炎も見えた。投げ込んだ松明が天幕などを燃やしているのだろう。
シュトース・ヴィントの最後尾では既に追いついた敵兵との戦闘が始まっている。
どうやら追ってきているのは、先ほど確認した敵集団一つだけのようだ。
追いついたゼーレ騎兵を、ウェインは振り向きざまにハルベルトで馬上から突き落とした。
胸に大きな穴を開けたゼーレ騎兵が、仰け反るようにして落馬する。
地面に落ちたその兵士を踏み潰して、ハルベルトを構えた巨漢が前に出てきた。
「ようやく追いつきやがったな、のろまめ」
ウェインは舌なめずりした。
「我が名はガギエル!どこの軍かは知らぬが、簡単に逃がしはせぬぞ!」
馬上で吠えたガギエルは、ウェインに馬を並べるなりハルベルトを振り下ろした。
「おっと、悪いがアンタをこれ以上進ませられねぇ」
それをハルベルトの柄の部分で受け止めたウェインだったが、あまりに強烈な一撃だったため、内心驚いていた。
軋む腕の筋肉を叱咤し、押し返したウェインは、お返しとばかりにハルベルトで肩を狙っった突きを繰り出した。
だがそれは体を横にずらしたガギエルに避けられてしまう。
ガギエルの肩の上を滑るように通り抜けたハルベルトを見て、ウェインはニヤリと笑った。
手首をひねるようにしてハルベルトを回転させ、引き抜くようにして手元へ戻した。ハルベルトの鉤爪が、後ろからガギエルの首に迫る。
「侮るな!」
さすが同じハルベルト使い、ガギエルはきっちりとそれを予測しており、体を更に横へずらして鉤爪を避けた。
片手で持っていたハルベルトをしっかりと両手で握りなおし、ガギエルは叩きつけるように何度もハルベルトを振り下ろす。
「ぬ、なんて馬鹿力だ・・・骨が折れちまいそうだぜ」
そのことごとくを受け止めながら、ウェインは相手の隙を探る。
だが連撃は止むこと無く、ついにはウェインの腕が痺れ出した。ガギエルは怪力の持ち主と言うだけではなく、その技量も非凡な物があった。その変幻自在の攻撃に、並の騎士であれば二、三合で屠られてしまうだろう。
しかし絶え間なく攻撃を続けるガギエルが非凡なら、それら全てを受け止めてみせるウェインもまた非凡である。ガギエルの攻撃は、紙一重でウェインの体に届かない。
どのような人間でも永遠に動き続けている事は出来ない。息をつく瞬間、わずかな隙が出来るはずである。その瞬間をウェインは我慢強く待った。
二人を中心にして、シュトース・ヴィントとゼーレ騎兵が併走する形で戦闘している。
北へ向かうネルフ軍にガギエル達が追いすがる形になっているのだが、このまま何処までも追い続けてくる事は出来ないとウェインには分かっている。
深追いすれば本隊から引き離され、逆に包囲されてしまうからだ。
「うおおおおおぉーーーーーー!!」
連撃に絶え続けたウェインに向けて、ガギエルが必殺の突きを繰り出した。
あまりの勢いに、ハルベルトの穂先で空気が爆ぜるような音がする。
「ここだぁーーーーっ!」
迫る穂先を馬上で仰向きに倒れるようにして避けたウェインは、腹筋を使って跳ね起き、動きの止まったガギエルに反撃の突きを放った。
「グッ・・」
狙い通り、ウェインのハルベルトの穂先がガギエルの胸にぶち当ったが、鎧を突き破る事は出来なかった。穂先がぶつかる瞬間、赤い光の壁に阻まれ、逆に穂先が欠けてしまう。
「エヴァか・・・・くそぅ」
反則技に舌打ちしたウェインは、馬上で体勢を崩したガギエルを見て畳み掛けるように連続攻撃しようとするが、ガギエルは並べて走らせていた馬を横へ移動させた。
「なかなかやるな、ウェインとやら。その名、覚えておこう」
これ以上の追撃は無理だと判断したカギエルは、右手を上げて合図すると、スピードを落してネルフ軍から離れて行った。
「ふぅ・・・なんとか助かったな」
胸を押さえながら、ウェインが嘆息した。
彼の胸を覆っていた鎧は大きく引き裂かれ、傷口からあふれ出した血液が胸を真っ赤に染めていた。先ほどの一撃を避けきれなかったのだ。
ガギエルが追撃を諦めてくれたから良かったものの、あのまま戦闘を続行していれば、ウェインは間違いなく命を落していただろう。
「くっそう、むかつくなぁ」
遠ざかって行くカギエルを一瞥し、ギリリと歯を噛み締める。
「借りはぜってぇに返すぜ、ガギエルさんとやら」
この日のゼーレ軍の死者は三千人に上った。
対するネルフ軍の死者は二十人程度。ネルフ側の完勝と言って良い内容である。
退路を脅かされたまま敵国へ攻め入る事は無謀であり、また離脱した敵軍が王都コキュートスの方向へ向かった事もあって、ゼーレ軍によるリリス遠征は一時中止と言う事になった。
ネルフ軍は当初の目的を達成したのである。
リリスとネルフの国境、サクレッド山脈
5人目の喉を切り裂いたケンスケは、倒れた相手がリリス人だった事に驚いた。
ネルフとリリスの国境に沿ってそびえるサクレッド山脈を越えようとしたところ、覆面をした数人の男がいきなり襲いかかってきたのだ。
彼らの洗練された動きから、ネルフとリリスの連絡を阻害しようとするゼーレの刺客だと思ったのだが、破れた覆面の下から出て来たのはリリス人特有の蒼銀の髪だった。
しかし山賊にしては統率が取れているし、全滅しかかっているのにも関わらず、彼らはまだ戦おうとしている。あきらかにケンスケがリリスに行かせまいとしているようだ。
「なにか裏の理由がありそうだな、これは」
師匠に報告しておいた方が良いだろう。
足払いで転がした6人目の心臓を一突きして、ケンスケは師匠への報告事項へ一つ追加した。
To be continued…